えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

大地

The Good Earth, 1937
シドニー・フランクリン監督。
ポール・ムニとルイゼ・ライナーの「中国人」はまあ変なんだけども、
それはそれとしてよく出来た映画。
前半は原作に忠実、後半はうまく映画的にまとめている。
具体的には三人の子供を二人に減らし、エピソードの順番を変えて、
原作では一挿話に留まるイナゴの襲来を山場に持ってくることで、
王龍の「大地」への回帰と親子の和解とを結びつける。
ラストは阿蘭の死で、ここでも夫婦の和解が描かれる。
阿蘭こそが「大地」だったのだ、という末尾の台詞は、原作の解釈としては
間違っていなかろうが、娯楽映画的「まとめ」は分かりやす過ぎるきらいはあるか。
パール・バックの原作のすごいところは、作者の筆致がはるかにドライというか
クールというか冷厳なところにあるように思うのである。
イナゴの特撮は今となってはまあいかにも素朴なものであるけれども、
しかしまあだからといって映画の質が損なわれるようなこともないのであってみると、
技術というものは何なんだろうかと思ったりもして。
それにしても映画のために読み始めた『大地』は面白い。
パール・バック、『大地』、4冊、新居格 訳、中野好夫 補訳、新潮文庫
第一部「大地」は王龍の農民一代記。どん底から成り上がって大地主になるまでの50年間に、
夫婦と子ども達をめぐる家族の物語が繰り広げられるが、
根本には「大地」と結びついて生きる農民の生活の肯定がある。
前半のどん底の暮らしぶりは見事に自然主義的であると同時に、
スタインベックのような作家を思いださせもする。
一転、第二部「息子たち」は王龍の三人の息子、王大、王二、王虎の物語であり、
とりわけ三男王虎が「英雄」を目指す姿が活写される。軍閥の首領になった後、
一人息子を溺愛して後継ぎに育てようとするが、当の子どもは軍人になりたがらない。
「親の心子知らず」が、三世代に亘っての物語の核であることが見えてくる。
目下読書中の第三部「分裂せる家」はその息子、王淵の物語となり、
ここでは一層に旧世代と新世代との隔絶が前面化してゆく。
かくして親子三代、(たぶん70年くらいにわたる)一大年代記『大地の家』となる。
こんなことしてる場合ではないのだけども、
いやもう面白くてとまらないわあ。