えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『男ごころ』補遺

個人的な仕事始め。
sonさんコメントありがとうございました。
お返事さしあげる前に、余談を済ませます。
昨夜、布団の中で今一度、『男ごころ』ないし『われらの心』の帯の文句を考えたのである。
(タイトルについては、とりあえず中とって『男ごころ・女ごころ』というのではいかがかと。
それではもひとつの場合、こういうのはいかがでしょうか。
『男のココロ&女のキモチ』 うーむ、週刊誌のコラムみたいか?)
で、こんなの。


本気で恋したい! でも、何故か夢中になれないあたし・・・
恋愛の達人モーパッサンが、そんな貴女にそっと教える恋のヒ・ミ・ツ!
ギ・ド・モーパッサン、『男のココロと女のキモチ』(翻訳者えとるた)


あはは。もはや中身とかけ離れた何物かに成りはてました。
調子に乗るのはほどほどにして、先日言い落とした点を一つ補足しておくと、
『われらの心』のミシェル夫人は、『ベラミ』に出てくるマドレーヌ・フォレスチエと並んで、
男に従属するのをよしとしない、進んだ「現代的」女性であるということであり、
恋愛にせよ結婚にせよ、男が女を「所有」するなんてものではない、
ということを彼女たちは主張するのである。
その事実だけは、確かに古びていないし、今読んでも共感を得られるものがきっとあるのでは
なかろうか、という風に私は思っているのだけれど、いかがなものであろうか。
若い時の劇作『リュヌ伯爵夫人の裏切り』から『あだ花』のガブリエルまで、
モーパッサンは男に媚びない強い女性を繰り返し登場させてきた。
自然主義世代の中でほとんど唯一女性読者を獲得し、
女性のモーパッサン研究者も決して少なくない(もっとも全体数がそもそも少ないんだけど)
ということから即座に、モーパッサンは「女ごころ」がよく分かっていたと結論づけられるのか
どうかは、私には自信をもって言えないのだけれども、
なにはともあれ、『われらの心』について話すなら「新しい女性像」は忘れてはいけない点だろう。
で、ようやく本題。