えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

何から読むべきか

そうですねえ、『われらの心』(『男ごころ』でもいいのだけど)からモーパッサンを読むというのは
強くお勧めする自信が、ちょっと持てないかなあ、と、馬鹿正直に申し上げます。
もっとも、「なんでもいいからとにかく読んで!」というのが一番率直な思いではあります。
もっともこれは、私自身が前期の短編から入った、というのが強く影響しているかもしれず、
なんだかんだ言いつつ、「モーパッサンらしさ」といえば中短編に一番よく出ていると
考えてしまう傾向があるのだな。やっぱり、と言うべきかどうか。
モーパッサン入門者向けの紹介ページのようなものを作りたい、と
前から思っていて果たせていないので、これは宿題としておいて、
以下簡単に思うところ。
モーパッサンは何から読むべきか。
実際問題として、入手の手軽さからいえば、
岩波文庫の『モーパッサン短篇選』、高山鉄男編訳
ちくま文庫の『モーパッサン短篇集』、山田登世子編訳
の二冊のどちらか、ということになるだろうか。
(ついでに申し上げておくと、ハルキ文庫さんは
モーパッサン傑作選』、太田浩一訳、1998年を重版する気はないじゃろか。
地味目ではありますが、「火星人」と「ロンドリ姉妹」は貴重ですよ。)
個人的には後者の方を薦めたい。
前者は作品の選択に芸がない(間違えた)じゃなくて、湿っぽい話にまとまり過ぎている
というかまあ、「ええ話」が揃っているので、それはもちろん編集の方針として「あり」だけれど、
モーパッサンの良いところはそこに尽きない、というかこれも要するに私の好みとして
爆笑・失笑・苦笑もろもろの笑い話を抜きにモーパッサンの「コント」は語れまへんで。
後者については先日少し述べました。
ただし挿絵は前者のリブレリ・ド・フランス版の方が断然に良い。
この二冊のどちらかで感触がよければ、近年改版したはずの
新潮文庫の『モーパッサン短編集』、青柳瑞穂訳3冊(まだ出てるんだろうな)
に是非とも手を伸ばしていただきたい。古本でも容易に入手できましょう。
都合65編(だったかな)で都会もの・田舎もの・戦争もの・恐怖もの
(これはつまりクラシック・ガルニエ版(今はポショテック)の分け方を踏襲しているのかな)
いろいろ取り揃えております。
がしかし、それより前に忘れてはならないのが、というか
まず真っ先に本当は読んで頂きたいのは、やっぱりなんといっても、
岩波文庫でいうと
『脂肪のかたまり』、高山鉄男訳(これは新しい、というか新訳)
『メゾン テリエ』(他3篇)、河盛好蔵訳(もう出てないですかね)
新潮文庫なら一冊、
『脂肪の塊・テリエ館』、青柳瑞穂訳(まだ出てると信じたい)
『脂肪の塊』(ひらがなにすればよいというものではない)はモーパッサン
短編事実上の処女作(正確には違うんだけど)にして出世作。1880年。
『テリエ館』は最初の短編集の巻頭作。1881年
つまりはどちらも作者の渾身の力作にして、誰が何と言おうとも(まあ、誰も何も言うまいが)
傑作です。
モーパッサン試金石として、結局のところこの二作、というのはたいそう芸のない話ではあるのだけれど、
日本の出版の現状も考慮すると、まあそういうことになるのではなかろうか。
話し出せばきりがないのであるが、とにもかくにも
二つとも娼婦のお話で!(威張ることでもない)、
簡潔にして緊密にして完璧な構成美と、
平易にして決して安易でなく、やはり簡潔にして正確で彩りある文章は、
人物の特徴を的確に捉えて鮮やかに彷彿とさせる一方、
ノルマンディーの田園を印象主義的な描写で美しく描きだすのと、
誰しも内にいくらかは覚えのあるだろうところの、偽善・欺瞞に対する痛烈にして辛辣な諷刺と、
弱き者に対する控え目で誠実な共感とでもって、
読む者を魅了せずにはおかない、と私は信じているのだな。


どうでもいいけどこうやって積み重ねる言葉は、
実にもってブールジェ・ゾラ・ルメートル混合の域を出ないではないか。
ぜひとも、ゾラの感動的なモーパッサン追悼文を、下手な訳でなんですが
ご一読いただけたら、私がごちゃごちゃ言うよりよっぽど説得力があるのだろう。
ま、そうじゃなきゃ訳しもしないので、それはそれでよいとして、
そういうわけでまたしても駄文を連ねてしまいましたが、
sonさん、どうぞぜひぜひモーパッサンの読書をお楽しみください。
モーパッサンが好き、読んでみたいとおっしゃる方が、こうして日本全国津津浦浦に
まだまだちゃんといらっしゃるのを知れることが、
たいがい奇特な私には「我がこと」のように嬉しいのであります。
いや、本当に。