えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

いまだ1880年4月

ここ数日とりかかっているのは、
1870年代の詩人モーパッサンが、
1880年4月の「脂肪の塊」を機に散文家に転身したことの意味は
一体何であるのか、というのを言語化する作業。
うーむ、まだそこかいな、と思うが、仕方ないのでやるしかない。
散文家になったから「脂肪の塊」が書けたのではなく、この作品を書く中で、
モーパッサンは散文の持つ可能性を発見したのだ、というのが私のテーズであり、
それまでずっと、人間をその本性において捉えるという点において、
ゾラと人間観に共通点を持ちつつも、
それでもなおゾラ流の「自然主義」から一線を画そうとするところに、
モーパッサンの詩と劇の試みの眼目があった。にもかかわらず、
ダン一派で刺激的な本を出して、世論を掻き立てて一山当てましょう、
というあからさまに自然主義戦略に則った作品集に、
まあギイ君もなんか書きたまえ、という、外からの要請があったところに、
初めて、「脂肪の塊」という傑作が生まれた。
そこには一種、運命の皮肉というようなものがあると私は思うが、それはともかく、
「脂肪の塊」において初めて、モーパッサンの作品に登場するものは何か。
それは「社会」であり、その社会を見つめる批判的な「眼差し」である。
それをもたらしたのは、言うまでもなく「語り」の持つ機能であり、その力だ。
韻文で「歌う」ことから散文で「語る」ことへの移行が、同時に、
人間を社会の内において捉え、さらにそれを批判的に眺める視線を作品内に導く。
言い換えれば、自己の内面の表白から、他者に向けて視線を転じること。
それは同時に、自己のために歌うことから、読者という他者へ向けて
言葉を投じることをも意味した。
その時にはじめて、モーパッサンの言葉はその真の力を獲得することができたのだ。


てなことは既に一年以上も前に考えたことではあって、
それを改めて言語化しなおしているわけなのだけれど、
要するに私が言いたいことというのは、煎じつめると
モーパッサンは三十歳にして「大人」になった(これぞ三十にして立つ)、
ということなのだけれど、そういうのをそれらしい言葉にするのは、
なかなか厄介なことであるのお、という日々であるかな。


どうだねギイ君、ちっとは的を得ているかね。
と時々は自分の内なるモーパッサン君に尋ねてみるのだけれど、
自分の文学について語ることを潔しとしなかった彼であってみれば、
おいそれと心の内を明かしたりはしてくれないのであることよ。