えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

岸田國士「二人の友」

『モオパッサン 二人の友』、岸田國士訳註、白水社仏蘭西文学譯注叢書第一篇、1925(大正14)年
岸田國士がパリ留学中に日本に原稿を送ったが紛失、
関東大震災の後、白水社で発見され、出版となった、
と、「巻頭言」に内藤濯が記している。
ついでながら、その一節。

 この一巻の譯註本によつて、日本の仏蘭西語界が新しい力を得るにちがひないと期待されることが、また嬉しい。遠慮なくいつて、日本の仏蘭西語界はまだ一向に垢ぬけがしてゐない。光つてゐない。書物の讀み方にしても、多くは平面的な行き方に留まつてゐて、立體的な圓味を有つてゐない。「仏蘭西人の言葉」の朗らかさ雅やかさを味はふ心意氣などは、實際甚しく希薄である。(1頁)

ずいぶんと情緒的な言い回しではあるが、「立体的な丸み」ある読解とは、
なかなかむずかしいものであります。
さて、この本。左頁が原文と語釈、右上に「逐次譯」下に「翻譯」が載っている。
冒頭をながめてみよう。

 Paris était bloqué, affamé et râlant. Les moineaux se faisaient bien rares sur les toits, et les égouts se dépeuplaient. On mangeait n'importe quoi. (p. 2.)

逐次譯。

 巴里は封鎖されてゐた。饑えてゐた。して喉をぐうぐう鳴らしてゐた。雀は極く稀になつてゐた←屋根の上に、そして下水は棲息物が絶えてゐた。人は食つてゐた。←何でも。(3頁)

翻譯。

 巴里は糧道を絶たれ、市民は饑えきつて、死に瀕してゐた。屋根の上の雀は稀になり、溝の中の鼠がだんだん減つて行つた。手當り次第に何んでも食ふと云ふ有様だつた。(同)

ふむ。今見て面白いのは、むしろ「逐次訳」から「翻訳」への過程で起こっていること
のほうにあるかもしれない。そこでは色んなことが起こっているのだが、
それが実はまあ翻訳という営為であり、まこと一筋縄でいくものではない。
ということが、よく分かる気がする。
それはともかく、全体を眺めていると、
岸田國士せんせいはフランス語がよくお出来になったのですね、
ということをしみじみ感じる。
さすがはヴィユー・コロンビエ座仕込み、とでもいうものであろうか。


ところで、岸田國士は翻訳について短いエッセーを書いていて、
これがなかなか腹を割った言葉で興味深いのであります。

 翻訳するといふことは、原書を少なくとも十遍繰り返して読むことである。
 翻訳をやつてみると、自分の語学力の底が知れるのである。
 翻訳をしながら、おれはこんなに日本語を知らないのかと思ふだけでも、たいへんな薬になる。
 最初一度読んで面白かつた本が、翻訳をしながら、或はしてしまふと、つまらなくなる場合がある。大した代物ではなかつた証拠である。
 出来上つた翻訳を読んでみて、原文の面影が伝へられてゐるかどうか、そんなことはわかるもんぢやない。わかるのは、翻訳の文章がうまいかまづいかである。
(「翻訳について」、『岸田國士全集』、22巻「評論随筆4」、岩波書店、1990年、297頁)