えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

フランス語で読むこと

モーパッサン関係の最近のトピックのもう一つは、
佐藤若菜、『フランス語で読むモーパッサン 対訳ジュールおじさん・首飾り・シモンのパパ』、NHK出版、2011年
でありました。
こういう需要があるのは大変喜ばしいことである。
この本が目新しく見えるのは、いかにも手に取りやすいお洒落な感じであるからだけれど、
頑固一徹の語学教材としては、実は昔からあったのである。
昔はあった、とほとんど過去形になりつつあるけども、
おお大学書林よ、おお第三書房よ、がんばっておくれ。
その観点からするなら、「ジュールおじさん」(本文では「父の弟」)「首飾り」、
そして「シモンのパパ」というのは、
その手の語学読本にもっともよく取り上げられた作品であって、
他には「脂肪の塊」とか「藁椅子直しの女」を挙げることができるだろう。
それについてあれこれ思うこともあるが、
それとは別に、果たしてモーパッサンのフランス語は簡単なのか。
という疑問も浮かんでくる。
はたしてどうなんだ。


ま、何事も相対的なものなので、バルザックスタンダールフロベール、ゾラ、プルースト
と比べたら、モーパッサンは絶対に「簡単」だと言って、たぶん誰も怒るまい。
(なんでなのか、と言われると咄嗟に答に窮するが、しかしまあそうなんである。)
しかしまあ、モーパッサンも19世紀の作家である。
19世紀の作家である、ということは、基本時制は単純過去である。
単純過去が基本時制であるということは、半過去が頻出し、大過去が登場し、
条件法も接続法も、(大)過去形まで含めて登場する、ということは避けられない。
今時の学校では、1年の初級文法で単純過去を扱うことはほとんどなかろうし、
条件法過去や接続法大過去を十分に練習するということも、まああるまい。
上記の本では語彙の注釈はそれなりにあるけれど、
文法に関してはほとんど触れられていないので、
時制に慣れていない初学者には、やはり相応に歯ごたえがあるのではあるまいか
と推察される次第である。


もっとも、そんなのは慣れの問題でしかなく、
しょせんは同じ時制(ほとんど同じ活用語尾)が繰り返し出て来るのであるから、
慣れるのにそんなに時間がかかるということもないのである。本当は。
本当はそうなんだ、ということは、
19世紀以前の古典を読むためには、それ専用といってよいような
訓練の仕方がある、ということであるが、
その訓練のためになら、モーパッサンは最適な第一歩であるだろう。
だがしかし、それは古文を読むなら最初は清少納言がよいか兼好法師がよいか
というのに、いささか似ていなくもない類の論である(気がする)。


やれやれ。何の話だったかな。
モーパッサンのフランス語は(そんなに)難しくない。
とりあえず(相対評価的に)そう認めた上で、
それでもちょっとばかし心構えは必要ですよ、
でもその心構えだけあれば勢いで何とかなりますよ、
と、本書を手に取られる方に向かって、私はそんなことをもごもご言いたいかなと。
なんか気弱な話ですけども。


ところで、「ジュールおじさん」では冒頭に
物乞いに100スー=5フランあげる、という話が出てくるが、
いつもの鹿島茂式1フラン=1,000円換算だと、これは5,000円である。これは驚く。
「首飾り」のマチルドは、夜会に出るための衣服に夫に400フランねだる。これが40万円。
そしてなくしたダイヤモンドの首飾りの代わりのものを見つけると、
40,000フランを36,000フランにまけてくれるという。
なんと4千万の首飾りを3,600万に値引きして購入し、
うち、1,800万円は妻の財産で払って、残りの1,800万円は借金で補い、
これを10年かけて利息込みで完済した、という話になるのであった。
うーむ。
相変わらずこの手の換算式は分かったような分からないような話である。
当時の感覚でいうと、恐らく貧乏官僚ロワゼル君の年棒は、
役人勤めの頃のモーパッサンと同じ2,000フラン程度の設定であろうから、
およそ年棒の10倍ぐらいの借金した、ということになるから、
そっちのほうがのっぴきならない気もするが、
いずれにせよ、そんな豪勢な首飾り(と思って)借りて出かけたら
そりゃ有頂天にもなりますわなあ、という話ではありました。