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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』について/ザジ「ペトロリアム」

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 勢いのついているうちに、これについて一言記しておきたい。そもそも、記すのは義務と思えば、気軽に取りかかれずに手が遠のいてしまったのであった。

 モーパッサン『脂肪の塊/ロンドリ姉妹 モーパッサン傑作選』、太田浩一訳、光文社古典新訳文庫、2016年9月。

 2011年の『女の一生』(永田千奈訳)に次いで、古典新訳文庫創刊から10年目の年に、ついにモーパッサンの短編集(全3巻)が刊行されることになったのは実にめでたい。翻訳者太田浩一は、以前にハルキ文庫から『モーパッサン傑作選』(1998年)、パロル舎から単行本で作品集『ロックの娘』(1998年)を出版している。ついでに言えばフロベールの『三つの物語』(福武文庫、1991年)、『感情教育』上下巻(光文社古典新訳文庫、2014年)の翻訳者でもあるのだから、山田登世子亡き後の現在において、モーパッサンの翻訳者としてもっとも相応しい人物であると言うべきだろう。

 さて、この新しい三冊(予定)の「傑作選」の最大のポイントは、作品選択の基準につきると言っていい。つまり、

本書は、モーパッサンの多面的な文業やその魅力を紹介することを目ざして編んだ、中・短篇アンソロジー(全三巻を予定)の第一弾です。ヴァラエティーに富んだ作品を収録し、日ごろあまり日の目を見ることのない作品も積極的に採りいれたつもりです。各巻に中篇の秀作を最低二篇はおさめること、他社の文庫で現在容易に読むことのできる作品はなるべく除外するという方針をとりました(後略)。

(「訳者あとがき」、『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、333頁)

  それはつまり、青柳瑞穂の新潮文庫の三冊、高山鉄男の岩波文庫、山田登世子のちくま文庫に収録されている作品は「なるべく」採らない、ということを意味するのである。それはつまり、「ジュールおじさん」や「首飾り」や「宝石」や「野あそび」や「わら椅子直しの女」や「メヌエット」や「酒だる」や「二人の友」や「初雪」までもが(恐らくは)収録されない、ということである。いや、読者にとって大変にありがたい英断に違いないのだが、むしろ蛮勇ではないかと危惧してしまうほどである。

 その結果、およそ1884年までの作品を収録するというこの第一巻のラインナップは、次の10篇となっている。

「聖水係の男」

「「冷たいココはいかが!」」

「脂肪の塊(ブール・ド・スュイフ)」

「マドモワゼル・フィフィ」

「ローズ」

「雨傘」

「散歩」

「ロンドリ姉妹」

「痙攣(チック)」

「持参金」

  「シモンのパパ」ではなく「聖水係の男」、「水の上」ではなく「冷たいココ」という、のっけからしびれる選択。出世作の「脂肪の塊」は外せないとしても、「メゾン・テリエ」を外して「マドモワゼル・フィフィ」というのも頼もしい。後続の中で一番有名なのは「雨傘」に違いない(これが新潮に抜けていたのは意外だ)が、その他の作品はこれまで、他の作品集への収録も稀だったものと推測される。したがって、率直に言ってこの作品集は、モーパッサン中上級者向けのものという印象が強いのである。

 なお、新潮・岩波・ちくまの各文庫収録作に関しては次のサイトが詳しい。って、もちろん私のです。

モーパッサンを文庫で読もう! ―モーパッサンを巡って

 つまるところ、あなたがモーパッサンを初めて手に取るのであれば、まずは岩波文庫ないしちくま文庫をお試しになって、その手応えがよければぜひこちらに進んでいただきたい、と私としては正直に申し上げたい。いや、もちろん私としても、新潮の65編を抜きにしてもモーパッサンの「傑作」は他にもたくさんあると言いたい気持ちは山々なのだけれども、しかし仮にモーパッサン初体験の若者がこの作品集を手に取って、それでもしも「この程度のものか」と思われてしまったら居ても立ってもいられないではないか。いや、いったい私はなんの心配をしているのか。信じろ、大丈夫だ、モーパッサンは。きっと。うん、でもしかし。

 なにはともあれ、待ちに待った新訳のモーパッサンである。ぜひとも多くの方に書店で手に取ってもらいたいと心から思っておりますし、すでに読んだことがあるというすべての方には、これまで知られることが少なかったモーパッサンの作品が手軽に読めるこの機会を逃す手はありません。ファンが一人でも多く増えることを願っています。

 また、2・3巻の無事の刊行も心待ちにしています。

 

 とりあえず、冒頭の「聖水係の男」について一言。

 1877年に書かれたこの短編は、まだ習作の色の濃いものである。この短編の主題は「子どもとの再会」であるが、実の父親との関係が決して良好とはいえなかった青年モーパッサンの心性と照らし合わせてみるならば、真に問題となっているのは「ありうべき理想の父親の発見」というものではなかっただろうか。「仕事も財産もなげうって我が子を探す父親」というイメージは、浮気性で父親としても不甲斐ない(とギィ少年に思われていた)実父ギュスターヴの姿と明確な対照を成すものである。そう考えるなら、婚外子シモンが誰にも誇れる理想の父親を手に入れる「シモンのパパ」(1879年)と、これは対を成す作品だと言えるだろうし、この作品は、青年モーパッサンにとって「父」の存在がいかに重要だったかを暗に語っているように思われる(彼はフロベールという「精神的な父」を発見することができたのだった)。

 翻訳を読んでいて、なかなかうまく書けていると思ったのは、子どもジャンが行方不明になった場面。

夜の闇が迫っていた。あたり一面に褐色の靄がたちこめ、恐ろしげな闇のかなたに、あらゆる物が姿を隠してしまった。かたわらに立つ三本の樅の巨木は、あたかも泣いているかのようだ。応じる声はなかったが、なにやらうめき声に似たものが聞こえてくる気がした。父親がしばらく耳を澄ましていると、あるときは右側から、またあるときは左側から、たえずなにかが聞こえてくるように思えた。正気を失った父親は夜の闇に分けいって、いつまでも「ジャン! ジャン!」と呼びつづけた。

(「聖水係の男」、『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、11頁)

 そして、今更ながら「ああそうだったか」と気づき直したのは、聖水係となった父親が、教会にやって来る青年が自分の息子と気づく場面。

 老人は思わず身震いした。

 そのとおりだった。若者は自分に似ていた。亡くなった兄にも、記憶にあるまだ若いころの父親にも。老夫婦は胸が詰まって、たがいに口をきくこともできなかった。

(同上、16頁)

 遺伝による親子の類似は、80年代のモーパッサン作品に繰り返し現れるモチーフであるが、それはすでにここに見られるものだったのだ。なるほど。

 以上ここまで、日本においてモーパッサンがまだ元気なことを、とにかく祝いたい。

 

 ところで今日は、Zazie の一番新しいアルバム Encore heureux (2015) を取り上げる。最近のザジはテレビのオーディション番組のコーチ役として活躍しているようだけれど、近作のアルバムでは普通によく売れるタイプの曲をあまり書かなくなっていて、『まだ幸せ』もあまり売れなかった模様。でも、しかし、やっぱり恰好いいじゃないですか。

 ザジの書く歌詞はおしなべて読み応えがある。というか難しくて辞書がないと読めないものが多い。"Petroleum" と "pétrole et hommes" は掛け言葉。地球が人間に物申す、エコロジカルな歌詞となっています。

www.youtube.com

Comme larron en foire
Pétrole et hommes
Vendez mon or en barres
Je ricane
La Terre est un trou noir
Rien dans le crâne
Prenez mon or en barres
Je le donne
("Petroleum")
 
よく馬が合うのね
石油と人間は
私の黄金を延べ棒にして売りなさい
あざ笑ってあげる
地球は一つの黒い穴
頭の中は空っぽ
私の黄金を延べ棒にして取りなさい
そんなものはあげるわ
(「ペトロリアム」)