えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『教養のためのブックガイド』/クリストフ・マエ「人々」

『教養のためのブックガイド』表紙

 以前より、推薦図書リストのようなものを探しているわけだが、そうした類のものが難しいのは、そもそもからして多分に教育的意図をもったものである上に、ややもすると威圧的なものになってしまうという理由があるように思われる。

 『教養のためのブックガイド』、小林康夫/山本泰編、東京大学出版、2005年

の中に、たとえば、英語圏における「教養のブックガイド」として、ハーバード大教授のヤン・ツィオルコフスキーによって35点、ロマンス語圏としてローマ大教授のピエロ・ボイターニによって41点(冊数ではない)が挙げられている。前者は『聖書』とホメロス(当然『イリアス』と『オデュッセイア』両方)に始まり、独仏英伊西色とりどり、カザンスキ『その男ゾルバ』まで、豪勢なラインナップ。後者もやはりホメロスから始まり、コーランも含めて多様な顔ぶれが並び、最後はプルースト失われた時を求めて』となっている。

 いかにも西洋のハイパー・インテリのご意見はかくもあろうし、彼方にはこれらすべてを読んだと言える教養人が(今でも)いるかもしれないが、しかし幾らなんでもこれでは取り付く島がないというものだ。ここに挙がっている本、『アエネーイス』、『デカメロン』、『神曲』、『ドン・キホーテ』から、『魔の山』、『戦争と平和』、『ユリシーズ』まで、全部を本気で読もうと思ったら、いったい何時間必要なのだろう。これでは「教養」を身につけるだけで一生かかってしまうかもしれない。もちろん、こういう網羅的で模範的なリストに意味がないと言うつもりはないけれど、普通の人のほうを向いたリストでないとははっきり言えるだろう。

 もっとも、私は本書を批判するつもりで書き出したわけではなく、本題はここからである。まず、「座談会 ”教養と本”」の中から、小林康夫の言葉を引用しておきたい。「本でなくてはいけない理由」という見出しの後。

小林 ビジュアルな情報はあっという間に感覚に入る。脳は瞬時のうちにそれを享受することができるわけですけど、文字言語はイメージとは違って、すぐには像が結ばれない。イマジネーションを働かして自分で像をつくり上げなくちゃいけないわけです。実はこれがすごく重要です。効率という意味では非常に悪い。文字から像までには時間的なラグがあって、そこで考えたり想像しないといけない。これはわずかな時間なんですけど、ずれているその間に自分の脳が想像力と思考力を働かせる。そこではじめて言語の運用能力が出てくる。本じゃなくちゃいけない最大の理由がそこにある。それは本以外に考えられません。本はある意味では時代おくれの遅いメディアなんだけど、その遅さのなかに途方もなく重要な精神の形成力がある。

 だから、本を読まないといつまでたっても自分のなかに思考や想像力が育っていかない。最終的には想像する、思考することができなくなる。この二つの重要な能力を失えば、まさに人間は弱体化するので、私はこのまどろっこしさに耐えてもらいたいんですよ。感覚できないものを感覚しようと努力し、よくわからないものを理解しようとして文脈を自分で構成する。この文脈を自分で構成することが、多分知的能力の最大の訓練だと思います。(100-101頁)

 だんだんと私も思うようになってきた。真の読書人たるもの、このご時世にもはや映画や漫画に遠慮している場合ではないのであって、「本でなくてはいけない理由」が存在することを、もっと喧伝するべきなのではなかろうか。これが一点。

 二点目。私が本書でもっとも面白く読んだのは、野崎歓「読む快楽と技術」、187-201頁であり、石井洋二郎「読んではいけない15冊」、203-216頁である。もちろん、ともに仏文の先生であってみれば、私個人の趣向にもっとも近いのは当然のことかもしれないが、贔屓目を抜きにしても、この二つの文章は魅力的だと思う。

 ここではとくに後者について触れるに留めるが、「読んではいけない15冊」のリストがなんとも魅惑的であり、私の探し求めているものの理想の形の一つはここにあるように思う。それはそうと、「もしかすると取り返しのつかない事態を引き起こすかもしれない」(204頁)と言われれば、いよいよ気になる危険な書籍とは何か。以下に、ここに挙げられている15冊をリストして引用させていただきたい。

 なお、便宜上番号をふったが、これは原文にはないもので、特に順位を表すものではないことをお断りしておく。

  1. 大江健三郎『われらの時代』、新潮文庫
  2. ヘンリー・ミラー『北回帰線』、大久保康雄訳、新潮文庫
  3. ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』(上下巻)、生田耕作訳、中公文庫
  4. フョードル・ドストエフスキー地下室の手記』、江川卓訳、新潮文庫
  5. 埴谷雄高『死霊』(I-III巻)、講談社文芸文庫
  6. フリードリヒ・ニーチェツァラトゥストラ』(上下巻)、吉沢伝三郎訳、ちくま学芸文庫
  7. マルキ・ド・サド悪徳の栄え』(上下巻)、澁澤龍彦訳、河出文庫
  8. ジョルジュ・バタイユ眼球譚』、生田耕作訳、河出文庫
  9. 谷崎潤一郎『鍵』、中公文庫
  10. ウィリアム・フォークナーサンクチュアリ』、加島祥造訳、新潮文庫
  11. ジャン・ジュネ『ブレストの乱暴者』、澁澤龍彦訳、河出文庫
  12. アルチュール・ランボー『地獄の季節』、小林秀雄訳、岩波文庫
  13. 原口銃三『二十歳のエチュード』、角川文庫/ちくま文庫
  14. トーマス・マンヴェニスに死す』、高橋義孝訳、新潮文庫(『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』)
  15. ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』、石井洋二郎訳、ちくま文庫

(『教養のためのブックガイド』、小林康夫/山本泰編、東京大学出版会、2005年、203-216頁より作成)

 それぞれの書籍についての解説が気になる方には、ぜひとも本文をあたってほしい。

 個人的な話をすれば、私自身も若い頃には刺激と衝撃を求めて本を探したものだけれど、結局、ここに挙げられている作品の多くを読み逃したまま今に至ってしまった。リストを眺めていると、自分の読書遍歴の「健全さ」が気恥ずかしいような、残念なような気分になる。二十歳の頃に出会っていればよかったのにと思う一方、もしそうだったらと想像すると、やはりなんだか心配にもなってくる。はたして無事に生き残れただろうか?

 それを読んでしまったために今ある自分を揺さぶられ、突き崩され、解体され、その結果多少なりとも以前の自分とは異なる自分を発見するのでなければ、いったい人は何のために本を読むのでしょう? ここで紹介したかったのは、もっぱらそういった「美しき惑い」へと読者をいざなう反・啓蒙的な書物なのです。(215頁)

 もちろん読書に遅すぎることはないはずで、今からでも読めばいいのだ。今ならもう大丈夫と油断していると、「自分がそれまで進んできた道を踏み外してしまうきっかけになるかもしれない」(204頁)。そう考えると、決して余裕をもって笑っていられるようなリストではない(かもしれない)。

 

 Christophe Maé クリストフ・マエが2019年10月にアルバム La Vie d'artiste 『芸術家の人生』を発表。その中から "Les Gens"「人々」。

www.youtube.com

Et y'a des gens heureux

Des vies tristes qui dorment dehors

Et y'a des gens heureux

Et d'autres qui brassent de l'or

("Les Gens")

 

そして幸せな人たちがいる

外で眠る悲しい人生がある

そして幸せな人たちがいる

富をあやつる者たちもいる

(「人々」)