えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『愛人 ラマン』/ジャン=ジャック・ゴールドマンの応援歌

『愛人 ラマン』表紙

 『愛人 ラマン』、マルグリット・デュラス原作、高浜寛漫画、リイド社、2020年

 右開きでフルカラー、日仏同時発売だから、これはBDと呼んでいいのだろうと思う。

 私が個人的に驚いたのは、「あとがき」に書かれ(裏帯にも載せられ)ている次のような言葉だった。

 私にとって『ラマン』は特別な本だ。いや、多分私にとってだけでなく、思春期にこの本を読んだ文学を愛する全ての女性たちにとって、きっと特別な本だ。皆自分と仏領インドシナの少女を重ねながら成長したのではないかと思う。最初の恋や、その次のいくつかや、だんだん手に負えなくなってくる人生を持て余しながら、皆たびたびデュラスの事を考えたのではないか。そして思う、「私は、何歳で年老いたのだろう?」

(156頁)

  そうか『ラマン』はそういう本でありえたのか、ありえるのか、ということを想像してみたこともなかったので、ただ素朴に「なるほど」と思う。原作はデュラスの癖のある書きぶりゆえに、決して読みやすいものではないと思うのだけれど、そうした壁を突き抜ける力を持っているということなのだろう。

 本書を読み始めた最初は、ジャン=ジャック・アノーの映画にえらくよく似ているのではないかとやや戸惑うが、これはつまりあの映画がそもそも原作にずいぶん忠実だったということだろう。読み進めてゆくうちにそのことが次第に気にならなくなるのは、作者が物語を十分に咀嚼したうえで、主人公の内面をしっかりと描き出しているからだと思う。

 デュラスの『愛人』はタイトルとは裏腹に、決して中国人の「愛人」との関係だけを語った作品ではない。母と二人の兄に対する愛憎と心の葛藤も大きな比重を占めており、その意味でもう少し全体的な自伝であるし、『愛人』は70歳になる作家が、50年以上前の過去の記憶をいかに語ることができるかというその実験的試みでもあっただろう。一方で高浜寛は、先の「あとがき」にも見られるように、明確に恋愛の物語に焦点を絞って物語を再構成している。したがって、家族は基本的に「愛人」との関係においてのみ扱われているし、払い下げ地の話もわずかに触れられるに留まっている。

 そのことによって、ここでは主人公と相手の男との関係が一つの物語として原作よりはるかに鮮明に描かれており、私は、『愛人』とはこういう話だったかと再発見するような気持ちで読み終えた。植民地に暮らす15歳の白人の少女が、金持ちの中国人を「愛人」とする。青年は彼女を愛してはいるが、父親の意向に歯向かうだけの意気地はない。青年は結婚することとなり、少女もまた別れを受け入れるが、フランスへ帰国する船の中で、自分の本当の気持ちに気づかされる……。性愛と金銭、自立と従属といったテーマを巡るこの作品の骨格にあるのは、紛れもなく少女の成長の物語であり、すべての成長の物語がそうであるように、成長は幻滅を大きな代償として得られるものとなる。「年老いる」とは、その幻滅のことに他なるまい。

 1984年に出た原作は発表当時にスキャンダルをもたらした(その後の映画のお蔭もあって日本でもよく売れた)が、それももう優に30年以上も昔のこと。高浜寛によるこの漫画は、そのような表面を引き剥がしたところに、この『ラマン』という作品が持っていた普遍的なものを鮮やかに掬い取り、それに繊細で美しい形を与えてみせた。そんな風に言っていいのではないだろうか。

 

 ジャン=ジャック・ゴールドマン Jean-Jacques Goldman は、最近は表舞台に顔を出さないが、貧しい者への無料の食料給付を行う Restos du cœur と、それを支える芸術家の活動 Les Enfoirés に長年貢献したことから、フランスでは圧倒的な人気を保つカリスマ的存在。そんな彼が3月末に動画を公開し、自身の歌 "Il changeait la vie"「彼が人生を変えてくれた」 の替え歌で、現在のコロナウイルス災禍にあってそれぞれの現場で働き続ける人たちに感謝を捧げている。"Ils sauvent nos vies"「彼らが私たちの人生を助けてくれる」。

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