えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

映画『マドモワゼル・フィフィ』/クリスチーヌ&ザ・クイーンズ「サン・クロード」

映画『マドモワゼル・フィフィ』


 本日、映画『マドモワゼル・フィフィ』を(フランス版のDVDで)鑑賞。1944年、ロバート・ワイズ監督。シモーヌ・シモン主演。

 「脂肪の塊」と「マドモワゼル・フィフィ」をくっつけて一本の作品にするという発想は、クリスチャン=ジャックの『脂肪の塊』(1945)と同じものであって、当然のごとく、どちらもナチス・ドイツに対するレジスタンを称える意図を明確に持った作品である。はて、これは偶然の一致ということなのか? なんにしてもフランス版はわりと単純に両作品をくっつけただけなのに対して、このハリウッド版の脚本ははるかに手が込んでいて、一体感があってよく出来ている。

 大きな改変の1は、主人公エリザベート・ルーセが娼婦ではなく洗濯女であり、彼女はトートとディエップの間にある Cleresville クレールヴィルなる町に帰るために馬車に乗り合わせることになった、という設定。

 第2に、このクレールヴィルの司祭が抵抗の印として教会の鐘を鳴らさないでいるのだが(それ自体は原作「マドモワゼル・フィフィ」と同じ)、彼の後任となる若い司祭が(原作「脂肪の塊」の二人の修道女の代わりに)同じく馬車に乗っている。

 第3に、トートの宿屋にいるプロシア将校が、〈マドモワゼル・フィフィ〉その人となっている。

 第4に、ここが興味深いところであるが、〈マドモワゼル・フィフィ〉は洗濯女エリザベート(彼女は愛国心が強く、決してドイツ人の言うことを聞かないことで知られている)に、文字通りに「一緒に夕食を取ること」を強要する(そして彼女はそれを拒絶する)のである。これは当時のハリウッドの倫理コード上必然的な変更点なのだろうが、いかにも苦肉の策の感は否めない。しかしその代わりに、プロシア将校があくまで彼女を「精神的に屈服させる」ことに固執するという状況は、なんとなく原作よりも高尚な感じを抱かせる変更であって、それはそれとして面白くもある。

 第5に、コルニュデはいったんは他の乗客たちの陰謀に加担し、エリザベートの説得に一役買うのであるが、後にそれを反省して、ここからだんだんといい役に変わってゆく。このあたりの工夫はうまいと思う。

 第6に、エリザベートはクレールヴィルでおばの洗濯場での仕事に戻るのだが、プロシア将校たちが宴会を企て、(娼婦ならぬ)洗濯女たちを占拠している城館へと連れてくることになる。

 第7に、コルニュデは新しい神父と一緒に教会の鐘を守ることを決意し、見回りにやってきたプロシア兵を銃で狙撃し、逃亡する。まさしくレジスタンになるわけである。

 第8に、〈マドモワゼル・フィフィ〉を刺殺して逃亡したエリザベートは、コルニュデと合流し、ともに司祭によって教会にかくまわれる。コルニュデはレジスタンに加わることを決意し、エリザベートの隠れる鐘楼で、司祭が〈マドモワゼル・フィフィ〉の弔鐘を鳴らすところで幕となる。

 以上がおおよその原作との変更点であり、二作品の融合という点ではわりとよく出来ているように思われた。主人公エリザベートは周囲の人物のためにやむなくドイツ将校に屈するも、最後には自尊心を守って身をもって抵抗し、その心意気にうたれてコルニュデも回心して一人の闘士となるのであるから、実に一貫したレジスタンス称揚の物語になっていると言えるだろう。もちろん自己の経済的利益しか考慮しないブルジョア市民(それはつまり時代状況において考えればヴィシー政権に加担するコラボということになるだろう)への諷刺も含まれているので、当時のフランスの観客にどう受け止められたかは想像しにくいところもある。

 ごく個人的には、原作「マドモワゼル・フィフィ」はやはり素直に対独抵抗(を称える)物語として読まれうるし、現にそう読まれてきたという事実を粛々と受け止めるしかない。いや、そんなに単純な話ではないだろうと、心の底の思いはなかなか消し去れないけれども。

 

  おおよそ一周して、クリスチーヌ&ザ・クイーンズに戻ってくる。赤の「サン・クロード」。美しい。

www.youtube.com

Here’s my station

But if you say just one word I’ll stay with you

("Saint Claude")

 

「持参金」、あるいは結婚詐欺/クリストフ・マエ「人形のような娘」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「持参金」は1884年9月に『ジル・ブラース』に掲載。シモン・ルブリュマン氏はジャンヌ・コルディエ嬢と結婚することになる。ルブリュマン氏は公証人の事務所を譲りうけたばかりで支払いが必要だが、新婦には30万フランの持参金があった。

 新婚夫婦は二人きりで仲睦まじく一週間を過ごすが、そこで夫がパリへの旅行を持ちかける。そして、事務所の支払いを済ませるために、持参金の全額を用意するように妻に求めるのだった……。

 結婚詐欺というものは古今東西を問わずに存在するのだろうし、詐欺師は男ばかりとも限るまいけれど、19世紀のフランスにあっては、作品の表題ともなっている持参金の慣習があった。つまり、貴族・ブルジョアの娘が家柄の良い相手と結婚するためには多額の持参金が必要だった(夫婦財産契約こそは、バルザックが大好きなテーマの一つであった)。そうであれば結婚詐欺をたくらむのはやはり男の方が多かったのだろうか。まんまと30万フランをせしめた男は「いまごろはベルギーあたりへ高とびしているよ」(『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、300頁)と述べられているが、当時の社会にあっては姿をくらますのも比較的容易だったかもしれない。いずれにせよ本作は、文字通り新聞の三面記事の題材になりそうな事件を、物語風に語ってみせた一編であり、そうした主題と構成自体、これもいかにも当時の新聞小説らしい要素を備えたものとなっている。

 何も見逃すことのない、プレイヤッド版編者のルイ・フォレスチエ先生は、パリの町をさ迷うもう一人のジャンヌの存在を指摘することを忘れたりはしない。つまり『女の一生』のヒロインのジャンヌは、息子ポールの行方を尋ねてパリの町を彷徨したのだった。地方に住む者にとって、19世紀の首都たるパリという都会の喧噪は、さぞ驚きをもって体験されたことであろう。そして、行く当ても知れぬ乗合馬車に一人残された新妻の孤独に焦点を当てる本作にも、当時の社会にあって弱い立場にあった女性への、作者の同情的な視線を認めることができるだろう。

 

 以上で光文社古典新訳文庫の『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』(太田浩一訳)の収録作を一通り読み終えた。その結果については我ながら心もとなく、万年一日で同じことばかりを繰り返しているような気がしないでもない。

 それはそうと改めて収録作を見直すと、ノルマンディーの農民ものがまったく取られていない点がやや惜しまれるだろうか(新潮との重複を避ければ仕方ないかもしれないが)。中編では「ミス・ハリエット」を入れなかったのは個人的にはすごく残念で、恐らくは「遺産」や「イヴェット」も割愛となったようである。ま、この種の不平は言うだけ野暮に違いない。してみると、2巻の中核を占めるのは、「パラン氏」、「ロックの娘」、あるいは「オルラ」(決定稿)あたりか? と、ついついこれも余計な詮索をしてみたりしつつ、なんにせよ無事の刊行を期待したい。

 

 クリストフ・マエは、実を言えば2013年のアルバム Je veux du bonheur の方が良かったと、個人的には思う。"La Poupée" は、「お人形のようにかわいい子」の意味だろうか。

www.youtube.com

Elle était si belle la poupée

Elle que les anges avaient oubliée
Et si on l'avait un peu regardée

Peut-être que

L'hiver ne l'aurait pas brisée

("La Poupée")

 

彼女はとても美しかった 人形のような娘

天使たちが置き去りにした彼女

彼女に目が留まったのは

きっと

冬にも壊されなかったからだろう

(「人形のような娘」)

「痙攣」、あるいは早すぎた埋葬/クリストフ・マエ「パリジェンヌ」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「痙攣」は1884年7月に『ゴーロワ』に掲載。舞台は温泉保養地のシャテルギヨン。モーパッサンは自ら湯治のために、この地に最近に訪れていたようである。また、新聞小説において説明抜きの語り手「私」は、容易に署名者=作家と同一視されえたから、初出時において、少なくとも形式的にはフィクションとノンフィクションの境界は曖昧だった。ちなみにシャテルギヨン(現在の正式名称は Châtel-Guyon シャテル=ギヨン)の名は「ギィの城」に基づき、つまりはオーヴェルニュ伯ギィ2世の築いた城が町の始まりだったらしいが、ギィ・ド・モーパッサンがこの町に足を向けたのは、そこに縁を感じたからだろうか?

 その町で語り手は奇妙な親子に出会うわけだが、その父と娘は「まるでエドガー・ポーの小説に登場する人物のように見えた」(『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、272頁)と述べられている。父親には物を手に取る時に手が痙攣してしまうという癖がある。娘のほうは病気のようで弱弱しい。語り手は彼らと親しくなり、父親から、娘を早まって埋葬してしまったという事件の顛末を聞かされる……。

 さて、周知のとおりポーには「早すぎた埋葬」と題する作品があり、さらにはなんと言っても「アッシャー家の崩壊」が存在している。ことあるたびにポーの名を引き合いに出すモーパッサンが、ボードレール訳でこの作品を読んでいなかったとは考えにくい。さて、このポーへの言及は先行作品への目くばせなのだろうか。

 モーパッサンがこれに類する事件を実際に耳にしたのか、あるいはこれが純然たる作者の想像だったのかは分からない。ただ、確かなことは、モーパッサンはこの物語を普通の恐怖小説のように、核心となる出来事を伏せたまま、未知の何かがもたらす恐怖に焦点を当てるような書き方はしなかった、という事実である。もしもそのように語っていれば、娘の「幽霊」の登場と、それが掻き立てる恐怖がもっと強調して描かれていたに違いないのだが、彼はそうはしなかった。代わりに、クロニック(今でいうエッセー)の形式の中で、旅先で出会った人物の語る物語の中で、比較的あっさりと出来事を語っている。

 恐らく、ここで語られるような事件は、仮にそれが実際に起こったことであったとしても、その例外性と異常さゆえに「本当らしさ」に欠けると思われたがゆえに、モーパッサンはこれを「小説らしく」語ることを避けたのではないか、そんな風に私には見える。作者が生前に、この作品を短編集に採らなかった理由も、その辺りにありそうな気がしている。

 新聞小説は読者の耳目を引くために非日常的、例外的な事象を好んで語るのであるが、しかし同時に、その突飛な出来事は「本当に起こりうる」ものと感じられなければならない(そうでなければ読者は興覚めしてしまうだろう)。「本当らしいありそうもない出来事」というこの矛盾の存在を、読んでいる当の読者に感じさせないようにすること。そこにこそ、「新聞小説」の書き手の腕の見せ所があったのである。

 

 本日はChristophe Maé クリストフ・マエの2016年のアルバム L'Attrappe-rêves (『夢を追う者』とでも訳すのか)から、"La Parisienne"。

www.youtube.com

Elle habite Paris

Elle a des converses blanches

Je comprends plus ce qu'elle dit

Elle habite Paris pourvu que rien ne change

("La Parisienne")

 

彼女はパリに住んでいる

彼女の会話は中身がなくて

何を言っているのか僕にはもう分からない

彼女はパリに住んでいる 何も変わりませんように

(「パリジェンヌ」)

  はて、converses blanches の意味がもう一つよく分からない。もしかして「白いコンヴァース」とかけているのか?

「ロンドリ姉妹」、あるいは南国の女/アブダル・マリック「ダニエル・ダルク」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「解説」で触れられているように、モーパッサンには長編(新聞連載の後に単行本)と短編(新聞一回読み切り)の間に、中間の長さの作品が複数存在している。その多くは短編集編纂の際に核となる作品(そのタイトルが作品集のタイトルになる)を書き下ろしたものである。「ロンドリ姉妹」は1884年に『エコー・ド・パリ』のフィユトンにまず連載されているが、やはりそのような中編の一つである。

 同じく「解説」に記されているが、かつてアルマン・ラヌーは中編こそ傑作ぞろいだと賞讃した。実際にそこでは作者に自由に筆を動かす余裕があった分、短編よりも人物造形に立体感があり、また随所に挟まれる情景描写は、作品を「生きた」ものにする上で不可欠なものであり、モーパッサン文学の肝とも言える部分になっている。「ロンドリ姉妹」において、南仏を通ってジェノヴァまで行く列車から眺めるオレンジやレモンの森の光景、夜に飛び交う蛍の姿などはその好例であろう。あるいは旅で出会ったイタリア人女性フランチェスカの身体描写を加えてもいいかもしれない。

 この世に、眠っている女ほど美しいものがあるだろうか? 身体の輪郭はどこもかしこもやわらかく、曲線という曲線が目を惹きつけ、ふっくらと盛りあがった部分はことごとく心をかき乱す。女の身体はベッドに横たわるためにできているのではないかと思えるほどだ。波をえがく曲線がわき腹のあたりでくぼみ、腰の近くで盛りあがったかと思うと、脚に向かって優しくなだらかにくだり、じつに艶めかしく足の先までつづいている。女性の身体の線のえも言われぬ魅力を描きつくそうと思ったら、寝台のシーツの上に身を横たえている姿にかぎるな。

(「ロンドリ姉妹」、『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、太田浩一訳、光文社古典新訳文庫、2016年、244頁)

  外界の自然が限りなく官能的に描かれる一方で、人間の身体は自然(動物)に近接する。かくして南国の地は全体として愛の息吹の温床となり、北からの旅人を虜にするのだと言えるだろうか。

 それはそうとしても、正直に言うと、私はこの作品をさほど評価する気にはならない。南国で官能的な美女と後腐れのないアヴァンチュールを楽しむ男の自慢話。いや、モーパッサンもそういう話を書いているということに文句をつける必要はべつにない。ただ、この種の批評性に乏しい作品には、私はあまり関心が向かないというだけのことだ。「異国の女」に対するエキゾチックなファンタスムは、それ自体、当時の新聞の(男性)読者にとっては好個の話題であったに違いない。そうしたものは、今の日本の読者にはどのように受け止められるだろうか。

 

 アブダル・マリックの2015年のアルバム Scarifications(これは民族学用語の「身体瘢痕」のことだと思われる)は、ラップとエレクトロミュージックの融合として、その筋では高く評価されているようだけれど、その分(私のような)一般の聴衆はとまどわされたのではないだろうか。「ダニエル・ダルク」は、文字通り元タクシー・ガールの歌手に捧げたオマージュ。冒頭(および最後)は彼の "La Taille de mon âme" 「俺の魂の大きさ」の歌詞の借用。

www.youtube.com

La vie dure un hennissement d'un cheval galopant

C'est littéralement qu'il faut le prendre, on ne vit pas suffisamment

Précisément, désespérément, je suis le roi du rock

Perfecto tout de noir vêtu

Blanches sont mes vertus

("Daniel Darc")

 

厳しい人生 ギャロップする馬のいななき

それを文字通りに取るべきだ 人は十分に生きていない

正確に、絶望的に、俺はロックの王

革ジャン 真っ黒な身なりでも

俺の美徳は真っ白だ

(「ダニエル・ダルク」)

 まあ正直よく分かってるとは申し上げられませんけども。

「散歩」、あるいは人生の空虚/テテ「君の人生のサウンドトラック」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「散歩」は1884年5月、『ジル・ブラース』に掲載された作品。

 40年間、実直に会社に勤めていた男性、ルラが、ある春の宵、陽気に誘われるようにして街に出る。凱旋門の近くの店のテラス席で食事をとり、さらにブーローニュの森まで散歩することに決める。行き交う馬車にはどれも愛しあう恋人たちの姿……。

 作品集『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』の中で一番暗い、いやモーパッサンの作品全体においても相当暗い部類に入るこの作品は、しかしこの作品集で一番の問題作だと言えるだろう。

 「散歩」は極めてパスカル的な作品である。パスカルによるならば、我々は皆「気晴らし」にうつつを抜かすことで、行く末には死あるのみという自分たちの宿命から目を逸らしつづけている。この作品の主人公のルラ氏は、まさしくその「気晴らし」の最中において、いささか逆説的なことにも、この先の人生が空虚でしかないことを悟るのである。パスカルならばそこで神に帰依せよ、ということになるだろうが、神なき時代の19世紀末に、そのような道は残されてはいない。人生が虚無であるという「真実」の残酷さに耐えられないルラ氏に残された方途は、みずから死を選ぶことにしかない。

 翌日、死体が発見された後、作品は次の言葉で終わっている。

 死因は自殺であるとの結論が出たものの、その原因については皆目わからなかった。あるいは、にわかに狂気の発作にみまわれたのであろうか?

(「散歩」、『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、太田浩一訳、光文社古典新訳文庫、2016年、199頁)

 それまで平穏に暮らしてきた人間が突然に自死を遂げれば、その理由を理解できないその他の人間にとっては「気がふれた」と見なされることだろう。だがここで作者が暗に言わんとしていることとはもちろん、この「狂気」こそがあるいは真の「明晰さ」ではないのか、という問い掛けである。

 『雨傘』と同じ新聞紙面に、笑劇とまったく並列的にこのような作品もぽんぽんと掲載してみせたところに、モーパッサンという作家の特異さがあるだろう。普通に考えれば、このような暗い作品は新聞読者に喜ばれるような種類のものではない。矢継ぎ早に発表した短編作品、そして『女の一生』の成功によって、この時期のモーパッサンは新聞紙面に好きなことを書けるフリーハンドを手にしていたからこそ、こういう作品を発表することもできたわけだが、言い換えれば、ここには読者におもねらない、自立した作家としてのモーパッサンがいると言えるだろう。

 

 テテについては挙げたい曲は幾つもあるが、気分を盛り上げるために、今日はとりわけ元気のいい曲を挙げておこう。たとえ、それでは「気晴らし」に埋没することになるのだとしても。

 2013年のアルバム Nu là-bas 『裸のままで』所収の「君の人生のサウンドトラック」。

www.youtube.com

Le bon refrain au bon moment

La bande son de ta vie

Un goût de rien

Si fort pourtant

La bande son de ta,

De ta vie 

("La Bande son de ta vie")

 

心地よいタイミングの 心地よいリフレイン

君の人生のサウンドトラック

“無” の味がする

こんなに強烈なのに……

君のサウンドトラック、

君の人生の……

(「君の人生のサウンドトラック」、西中コイック百合子訳)

 

 例によってなんの脈略もない引用。

 井伏君の「貸間あり」には描写はないというような乱暴な言葉を使ったが、描写という言葉は、所謂リアリズム小説の誕生以来、小説家の意識にずい分乱暴を働いて来たのである。ハイ・ファイという言葉がある。言うまでもなくハイ・フィデリティの略語で、現物再現の効率の高さを誇る意味合に由来する語であろうが、文学上のリアリズムとは、或る作家の一種の人生観を指すのが本義であって、現物再現の技術の意味は附けたりだ。モーパッサンのリアリズムの本義に比べれば、附けたりばかりが派手に拡がって了ったものだ。ハイ・ファイという便利な言葉が出来たのなら、例えば、カメラのリアリズムというような曖昧な言葉は止めにして、カメラのハイ・ファイという事にしてはどうか。

小林秀雄「井伏君の「貸間あり」」、『考えるヒント』、文春文庫、2009年新装版第9刷、38-39頁)

 

なぜ傘が要るのか/テテ「歓迎されない人」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 モーパッサンの短編「傘」についての補足。

 この小説を今の目で読んでよく分からないのは、そもそもオレイユ氏はなぜ毎日職場へ傘を持って通勤しているのか、ということである。ここ数日雨が降っていたから、というわけではない。

 雨が降っていなかったのは、職場の同僚に傘をいたずらされたことに、彼が家に帰ってくるまで気づかなかったという事実に明らかである。では一体、なぜ彼は毎朝、傘を持って出かけるのか? ちなみに言えば、小説の中でモーパッサンはつねにparapluie「雨傘」と書き、ombrelle「日傘」の語は使っていない。

 私自身もまだ詳しく分かっていないのだけれど、つまり19世紀末のフランス社会では、成人男子が外出時に、いわばステッキの代わりに傘を持つということがある程度(どの程度かが問題だが)一般的だったのである。当時は男性用でも en tout cas と呼ばれる晴雨兼用傘が存在したようなので、オレイユ氏の傘もそのようなものだったと推測される。

 試しに『19世紀ラルース』を開いてみると、次のような記述に行き当たる。

Dans les  dernières années de l'Empire, la mode de l'ombrelle s'est étendue aux hommes. Des petits crevés (antérieurement appelés gandins et postérieurement gommeux) qui, les premiers, arborèrent l'ombrelle sur les trottoirs des boulevards et aux champs de courses, l'usage s'en répandit peu à peu parmi les gens sanguins et apoplectiques, mais il est douteux qu'il se généralise sous nos latitudes.
  Le parapluie est le symbole de la vie tranquille et paisible. C'est l'instrument de l'homme rangé, soigneux, du bourgeois, de M. Prudhomme. Quand on veut représenter le type du calme, de la médiocrité et de la bonhomie, il suffit de peindre un homme portant sous son bras un parapluie bien solide, bien solennel, un riflard bien conditionné.

(L'article de parapluie dans le Grand Dictionnaire universel du XIXe siècle, t. XII, p. 198.)

 

第二帝政の最後の数年の間に、日傘の流行は男性にも広まった。「プチ・クルヴェ」(それ以前には「ガンダン」、以後には「ゴムー」と呼ばれた)洒落た若者たちが最初に、歩道や競馬場で日傘を見せびらかすと、少しずつ、多血質や卒中質の者たちにも広まっていった。とはいえ我々の気候のもとでそれが一般化するかどうかは疑わしい。

 雨傘は静かで穏やかな生活の象徴である。それは生活に不自由がなく、注意深いブルジョア男性、いわばプリュドム氏の用具である。平静、凡庸、善良さの典型を表現したい時には、一人の男性の脇の下に、頑丈で堂々として、しっかりとした雨傘を持たせれば十分である。

(『19世紀ラルース』、「雨傘」の項目)

  後半の記述は我らがオレイユ氏にも当てはまるものだろう。毎朝傘を持って通勤するオレイユ氏の姿はそれ自体、平穏を好むブルジョア男性の典型、あるいはその諷刺画を意味するものだということである。

 そういえば、「ブルジョアの王」を自称したルイ・フィリップは、外出時に王杖の代わりに傘を持ったことで知られ(そして諷刺され)たのであった。淵源はそのあたりにあると見てよいだろう。以上、ささやかな補足事項。

 

 Tété とZazは、今の日本でも売れる(貴重な)フランス人若手歌手の代表的存在といえるだろう。Tétéはもう9度も来日しているらしい。しかし彼の歌を聴いていると、むしろフランス人だけども全然フランス的でないからこそ、日本でも売れるのではないかと思わなくはない。ま、それはともかく、2016年に発表されたアルバム Les Chroniques de Pierrot Lunaire『ピエロ・リュネール氏の半生』から、"Persona non grata" を。スランプに陥った歌手の煩悶。

www.youtube.com

Persona non grata

Ma plume ne veut plus de moi

Persona non grata

Page blanche du trépas

 

Persona non grata

Pour qui donc sonne ce glas ?

Persona non grata

Me reprendre je dois

 

Ou sous peu c'est Pôle Emploi

Me reprendre je dois

 

歓迎されない人

ぼくのペンはもうぼくを見放した

歓迎されない人

死を語る真っ白なページ

 

歓迎されない人

誰がために鐘は鳴る

歓迎されない人

しっかりしよう、そうしなきゃ

 

でないとすぐにも職業安定所行き

しっかりしよう、そうしなきゃ

(「歓迎されない人」、國枝孝弘訳)

  書くことが出来ない真っ白なページを前にした苦悩、というので思わずマラルメを思い出す。まあ思い出さなくていいのだろうけれど。

 

 最後に、いつものように脈略のない引用。

 近代市民社会の成員たちは、「私人」と「公民」の二つのありように分裂している。そして、私人であることの方が本来的なあり方だと、ぼくたち自身も深く信じています。マルクスは「それはおかしいのではないか」と言うのです。「自分さえよければそれでいいが、いろいろうるさいから法律には従う」というような人間を作り出すために人類は営々と努力してきたわけではないだろう。人間が真に解放されるというのは、そういうことではないだろう、と。

 一人の人間が公私に分裂していることもおかしいし、分裂したうちの「より利己的な方」が本態で、「より非利己的=公共的な方」が仮の姿というのも、おかしい。そうじゃなくて、真に解放された人間というものがあるとすれば、それは分裂してもいないし、隣人や共同体全体をつねに配慮し、そのことを心からの喜びとしているはずである。そういう人間が今どこかにいるということではなくて、論理的に言って、そういう人間がめざされなければならないのではないかとマルクスは言うのです。

 マルクスはそれを「類的存在」と呼びます。

内田樹「『ユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学批判序説』」、内田樹石川康宏『若者よ、マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱』、かもがわ出版。2010年、91頁)

 

「雨傘」、あるいは吝嗇/フランス・ギャル「もちろん」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「雨傘」は1884年の作。かつて岩波文庫に杉捷夫訳で入っていたので、日本でもよく知られた短編の一つであろう。吝嗇はノルマンディー人の特徴の一つとして農民を扱った作品に見られるテーマであるが、ここではそれが、都会に住む小市民の心性として描かれている。

 オレイユ夫人はしまり屋だった。わずかな金のありがたみをよく知っていたし、金をふやす秘訣もあれこれ心得ていた。女中がなかなか買い物の金をちょろまかせなかったのはむろんのこと、夫のオレイユ氏にしても、小遣いをもらうのがひと苦労だった。とはいえ、暮らし向きが逼迫しているわけではないし、子どもがいるわけではもなかった。にもかかわらず、手もとから現金が出ていくのを見るのが、オレイユ夫人にはたまらなくつらいのだ。まるで胸が引き裂かれるような思いがした。大きな出費があったりすると、それがやむを得ない物入りであるにせよ、その晩はおちおち眠ることができない始末だった。

(「雨傘」、『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、太田浩一訳、光文社古典新訳文庫、164頁)

 モーパッサンはしばしば人間の性癖を生理的な次元で語ってみせるが、それによって、その性質がいかにも抑えがたく不可避のものであることを効果的に印象づける。「十八フランを惜しむ気持ちが生傷のようにうずいた」(173頁)というような表現も同様であろう。オレイユ夫人が我々に見せるのは、確かに卑小で笑うべき欲望ではあるのだが、そうは言っても、それが彼女の生に根源的に結びついていることを、我々は疑うことはきない。この作品は決して内容の重たくない笑劇的なものであるが、その滑稽さの裏には一抹の悲哀のようなものが隠れていないだろうか。

 それはともかく、小心なオレイユ夫人がなんとか雨傘の修理代を引き出そうと保険会社に出かけてゆくと、そこでは男たちが数十万フランの金額をやりとりしているという場面はしみじみおかしい。確かにこの短編には、最良のモーパッサンが認められるだろう。

 

 日本ではイエイエ時代のみが知られているフランス・ギャルは、フランスではミッシェル・ベルジェと一緒になってからこそが重視されている云々。1987年『ババカール』所収の一曲、"Évidemment"「もちろん」。ダニエル・バラヴォワーヌ追悼の思いを込めて作られた曲という。

www.youtube.com

Évidemment
Évidemment
On danse encore
Sur les accords
Qu'on aimait tant

Évidemment
Évidemment
On rit encore
Pour les bêtises
Comme des enfants
Mais pas comme avant
("Évidemment")
 
もちろん
もちろん
まだ踊るわ
あんなに好きだった
和音に乗せて
 
もちろん
もちろん
まだ笑うわ
おかしなことを
子どもたちのように
でも以前のようにではなく
(「もちろん」)

 

 今日も脈略のない引用を一つ。

 都会にいるときに不快を減じるためにできるだけ切り縮めようとするのとはちょうど逆に、自然の中にいるとき、私たちは空間的現象を時間の流れの中で賞味することからできる限りの愉悦を引き出そうとする。

 私たちが雲を観て飽きることがないのは、それが風に流れて、形を変えて、一瞬も同じものにとどまらないにもかかわらず、それが「今まで作っていた形」と「これから作る形」の間に律動があり、旋律があり、諧調があり、秩序があることを感知するからである。雲を観る人間は、空間的現象としての雲の動きを一種の「音楽」として、つまり時間的な表象形式の中に読んでいるのである。

 海の波をみつめるのも、沈む夕日をみつめるのも、嵐に揺れる竹のしなりをみつめるのも、雪が降り積むのをみつめるのも、すべてはそこにある種の「音楽」を私たちが聴き取るからである。

 その「音楽」は時間の中を生きる術を知っている人間にしか聞こえない。

内田樹『態度が悪くてすみません ――内なる「他者」との出会い』、角川oneテーマ21、2006年、29-30頁)