えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

先生としてのマラルメ

月に一度のマラルメの日。
帰宅時から、
歌野昌午『葉桜の季節に君を想うということ』文春文庫、2007年。
午前三時読了。
うーん、まいったー。やられたよー。ものの見事に。


むかし筒井康隆にも同じように「やられた」ことを思い出しました。


閑話休題
「独立評論」1887年、7月の記事。
マラルメは難しい。とっても難しい。
一読して意味不明で、二読してもなお不明。
それでも、二十読ぐらいすると、なんとなく分かったような気がする。
気がするだけで保障はなんにもないんだけど。
で、これは要するに、作者が「分からないように」書いているのである。
そうである以上、その意味するところは、
一元的な解釈を否定する、ということにしかありえない。そうですね。
だからまあ、仮に誤読でも構わないのである(開き直り)。
ところでこの「分からなさ」は、ひいては読む者に
「この人は何かを知っているに違いない」と思わせ、
なおかつ、じっくり付き合うと、
「私だけがこの人を本当に理解できている」という
「誤解」を与えるに十分な何かを備えている。
ということは再度の『先生はえらい』式に考えると、


マラルメはよい先生たる資格を十分に備えていた。


ということになるのである。
そういえば写真で見るマラルメは実に「くたびれたおじさん」ぽいのでもある。
そいでもって現に「火曜会」に出席した人達の中から、
ヴァレリーが出て、クローデルが出て、ジッドが出て(あってるかな)
もっと言えばレニエが出て、シモンズも出た。もっと他にも育った人がいる。
考えてみるとこれは実に凄いことだ。みんなして、
「この人は何が言いたいんだろう」という問いを抱え込むことによって、
飛躍的な「成長」を遂げることを可能としたのですね。
なるほど。
そこで私は世のマラルメ研究者に向って
「先生としてのマラルメ」という本をお書きになることをお勧めするのである。
(既にそういう本があったら、教えてください。)
ちなみに詳しくはよく分からないんだけど、モーパッサンも「火曜会」に出席したことがあるらしい。
しかしモーパッサンマラルメについて残している数少ない評語の一つは
galimatias
であった。「わけの分からない話」である。うーむ。
しかし、ここには必然的な問題が絡んでいて、それはつまり、
モーパッサンには既にフロベールという「先生」がいた、ということに尽きるのである。
彼が二十歳そこそこ、パリに出てきてすぐにマラルメに出会っていたら、
そして「なんか分からんけど凄い人だ」と感動していたら、
話はすっかり違っていたかもしれない。
そういうものである。そして「そういうもの」のことを、後の人は
「宿命」という名で呼んだりもする。


いや、それにしてもびっくりしたぞ。