えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ぐちってはいけない

rienさんにはあたたかいお言葉どうもありがとうございました。
ぐちる気はなかったのではあります。たぶん。
こちらこそお手数をおかけしておりましてまことにどうも。


「社会というものと向き合った文学者が採る姿勢」
ということでモーパッサンを考えると、
まず第一には罵倒する、という姿勢でありましょうか。
とりあえず共和制は衆愚政治で、政治家は無能な操り人形で
社会は不公正な代物で、改善の余地もありえない。
これが1880年代のフランス社会にモーパッサンが下す判断だ。
彼にとってあるべき社会とは少数の知的エリートが大衆を
先導するというもので、選ばれし少数者とは芸術家のことに
他ならない。
うーん、どこかで見たことのある図式だ。
ある意味大変ロマン主義的であるのは奇妙な皮肉
というものであろうか。伝統というものかもしれない。
がしかしこのきわめてエリート主義的な思想とは、
実はクリストフ・シャルル(どっちが姓だか名前だか
分からないこと、ポール・アレクシと双璧を成す)が詳らかに説く、
第三共和制の上層階級イデオロギーと極めて近しい
ものである(本は読むもんだ)。つまり、モーパッサンもまたこの時代にあって
「知識人」の先駆けの役割を、確かに果たしていたといって、
そんなに間違ってはいないだろう。
がしかし基本が罵倒であり、党派にくみすることを極端に嫌った
モーパッサンは、たとえ90年代に健在だったとしても、
いわゆる社会参加に積極的に関与したかどうかは、これはこれで疑わしい。
それはともかく、しかしながら、
70年代には(フロベールの弟子として)、新聞に時評文を書いたりして
特定の党派にとらわれることを敬遠していたモーパッサンが、
80年にゴーロワ入りした後、とりわけ植民地開拓真っ盛りの
アルジェリアにリポーターとして派遣されて以降、
社会・政治に関して発言することをためらわなくなるという
変化は、たしかにそれ自体社会参加であり、実は大変な変化だ。
ジャーナリスト・モーパッサンとは、決して作家の余技などでは
なかった。まちがってはいけない。
小説家モーパッサンの誕生は、ジャーナリスト・モーパッサン
誕生と同時だといっても、そんなに過言ではないのである。
(その一番端的な成果はもちろん『ベラミ』である。だが『ベラミ』
だけが突出しているわけではない。
しかしこれは、当面の私の課題よりも「少し先」の話なのではある。)
小説家モーパッサンとジャーナリスト・モーパッサンはもちろん
別人ではない。同じ一人の人間が、同じ媒体において表現活動を
行う以上、両者は常に混在している。
である以上、両者の関係は相互干渉的でもある。
だから「文学的ジャーナリズム」というマラルメの評言はたしかに
正しいのだけれども、逆に言えば「ジャーナリズム的文学」
という一面を、モーパッサンの作品は間違いなく備えている。
(そんな下品なもんについてマラルメは黙して語らないにせよ、だ。)
だがモーパッサンの達成は、「ジャーナリズム的文学」を
文学の堕落とは遙かに遠い地平にまで推し進めたことにあるだろう。
同時代にモーパッサンと同じように活動した作家・ジャーナリストは
たくさんいた中で、彼の作品だけが今日なお読まれ続けている
理由はそこにある。
ジャーナリズムがモーパッサンを生んだけれども、
モーパッサンはジャーナリズムを突き抜けた。しかも、
それをジャーナリズムの只中にいながら成し遂げたところに、
恐らくは彼の独自性がある。


とまあそんなことを思ってはみるのである。
しかしまあ、目指すべき解答はまだ遠い感じだな、これ。