えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

あんずの花

室生犀星詩碑

本業以外の仕事のためにモーパッサンが読めない
ことほどかなしいこともあるまいか、どうか。
それはそうと珍しいhrt君、お元気そうでなにより。
室生犀星の詩碑もばっちり見てきましたけれど、
犀星の詩そのままの幼年時代とはまあ、いい話だあね。


本日『関西フランス語フランス文学』第14号が届く。
モーパッサン初期作品における女性の表象についての
論文もこれにて無事刊行。
論自体は明快だとは思うのだけれど、
「ジャンルの相違」という問題には踏み込みが足りないように、
今となっては思われるのと、
結論として挙げた「小説」によって「社会」とそれを見定める
批評的な「視線」の導入が初めて可能となった、
という論を、その後の展開においてどう実証してゆくか
という課題は、今まだ残ったままである。


70年代のモーパッサンは詩人だったということの
80年代における意味は何か、というのが、
私がこれまでの経路上必然的に立てるべき問いであり、
その問いの必然的な解答は、おそらくは
80年代モーパッサンもまた詩人であり続けた
という点に求めることになるだろう。
それはそれとして良い。そこでいう「詩」的なるものを
どう定義づけるかが問題だが、ある意味、それはいかようにも
意味づけられるものではあるし、実際にそれは全然不可能でも
間違った解でもないはずだ。


だがしかし、80年代の小説家モーパッサンは「社会性」の取り込み
によって誕生しえた、という件のテーズと、
80年代になお「詩人」でありつづけたモーパッサン
というテーズとは、一体どのような理路によって結合するのだろう。
それがまだ明確ではない。
しかし、それを結合させたところにこそ、80年代モーパッサン
小説が卓越したものになりえた理由が存在する
ということが、恐らくは私のテーズの一つの結論となるはずだ
ということは推測されるのである。
なるほど、そうだったか。


読者の五感のすべてを喚起させるべく文彩を駆使する
モーパッサンの描写とその「詩学」については、既に精緻な論考があり、
批評家モーパッサンの面は、主にジャーナリズムの時評文について
専門家の言及は少なくない。
モーパッサンの優れた短編小説においては、作家のその二面性が
同時に存在している、というだけのことであれば話は簡単では
あるけれど、それでは面白くないし、実際にことは
そういう単純な話ではないはずだと思う。
なんと、私はここにおいて
「詩」と「批評」の結合というまるでマラルメのような問題に
直面しているのであろうか。
話としてはなかなかおもしろい、かもしれないが、
しかし一体それはどういうことなんだねモーパッサン君。
と聞いてみたい気もしないではないが、作者は全てを知っている
わけではないのである。上に文学論の大嫌いだった
モーパッサン君(どうでもいいが田山花袋の大局だ)が、
そんなことを嬉々として語ってくれたはずもないのだな、これが。