えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

闇の奥

ジョゼフ・コンラッド、『闇の奥』、中野好夫 訳、岩波文庫、1958年1刷、2009年(55刷)
これがよく分からなくてむつかしい。
Heart of darknessは1899年の作品。)
大自然の「闇の奥」に遡行していって心の「闇の奥」を覗いてしまったのがクルツという
男なのだと思うけれど、たとえば、
「束縛も信仰も恐怖も知らない魂、そのくせ、その魂自身を相手に盲目的な格闘をつづけているという魂の不可思議きわまる秘密」(138-139頁)
とは一体何なのかというところが言語化されていないので、
それは言語化されえないものであるのだろうとは思うけど、読み終えても闇の中。
一方で、サイードはこの作品を起点に「二つのヴィジョン」のあり方を読み取る。
ひとつにはクルツもマーロウもやってることは帝国主義そのままであり、要するに
アフリカは西洋によって分割され、解明され、光を当てられなければならない
というもの。
もうひとつは、しかしコンラッドがマーロウの語りを特定の時と場に限定している事実から、
帝国主義は歴史の一点における事象に過ぎないと認めると同時に、帝国の捕えることの
できない自律した「闇」が、帝国の外に存在しているのを理解するものである。
もちろん、コンラッドにあっては闇は闇でしかなく、そこに住む原住民の独立とは
考えられるものではなかったとしても。
ポーランドという故国を喪失したコンラッドにおいては、彼自身と「帝国」との間に
完全な一致が存在していなかったからこそ、彼は(ある限界の内にありながらも)
「帝国」に対し一定の距離を取ることができていた、という見方
(たぶん。サイードの要約にはいつも自信が欠ける)。
サイードにとっての問題の核心は、この可能性としての二つのヴィジョンがその後の
脱植民地化した世界においても、繰り返し提起され続けている、ということにある、と。
引き続き宿題。ゆっくり進め。