ああ、もう2月が終わってしまう、と、毎年言っているような。
昨日マラルメ。『賽の一振り』もほぼ終わりへ。
最後の手前の頁。主幹文を終えて「後奏曲」とでも呼びたいところか。
たとえサイコロを振ったとしても偶然は廃棄されず、
「場所以外の何も起こらなかったということになるだろう」
(前未来はこのように訳すのがよろしいのではないかと。)
それでそこにはただ波音ばかりがあるのだそうな、恐らくは。
右下に偏った語の配置は、流されて溜まってる、みたいな感じですか。
なんにしても、
RIEN, nul, N'AURA EU LIEU, l'absence, disperser, l'acte vide, sinon, mensonge, la perdition, ces parages du vague, se dissout
と、ネガティヴな語がこれでもかと寄せ集まって、
結局は何もない、というかすべて消え去るというか、これぞ否定性の詩学、という感じはすごくする。
これをして詩は現実を抹消する、といえばなんだか格好いいけども、
そこんとこの理屈がどうも実感として呑み込めない、のでまだまだ道は遠いと思われます。
本日の宿題。いつまで続くのか。
Quand il faudra justifier en librairie ce titre : Dix chefs-d’œuvre des conteurs français du XIXe siècle, on devra produire deux, et peut-être trois contes de Maupassant. – Francis Vielé-Griffin.
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
出版社において『19世紀フランス短編作家傑作10編』といったタイトルを正当なものにする必要がある際には、二編、あるいは三編のモーパッサンの短編を取り上げねばならないだろう。――フランシス・ヴィエレ=グリファン
Francis Vielé-Griffin (1864-1937)
アメリカ出身。「火曜会」に通い、マラルメと親交を深める。
『庭師フォカス』 Phocas le jardinier (1898) で象徴主義演劇を実践。
自由詩を主張し、詩集に『人生の光明』 La Clarté de vie (1897) 等がある、と。
(64年は作家の当たり年なのかもしれない。)
えーと、褒めているんだろうけども、しかし愛が足りないわ。
10作中3がモーパッサンだったらそれは凄いが、あとの7作は一体誰の何なのか。
バルザック1(よう選ばん)、スタンダール1(ヴァニナ・ヴァニニか何か)、メリメ1(エトルリヤの壺かな)、
リラダン1(ヴェラ)、ドーデ1(風車小屋のどれか)ぐらい確定ですか。
あと二人は、候補としてノディエ、ゴーチエ、サンド?(よう知らん)、フロベール(あえて選べば「純な心」)、
ゾラ(短編は別に要らん気もする)、はて、後は誰?
いやこれむつかしいわ。
というか、それより前にモーパッサンで二つか三つって何よ。
そのほうがむつかしい。
とりあえず長めの入れていいなら「メゾン・テリエ」と「ミス・ハリエット」と「オリーヴ畑」。
「脂肪の塊」は次点。「ロックの娘」は外してもいいが、「パラン氏」はどうしよう。
じゃあ「野遊び」は? というかそれ以前に「オルラ」を忘れてる。
もっと短い方で選ぶとなると、これはなおさら難しい。
王道の選択としても「二人の友」、「ジュールおじ」、「首飾り」、「ひも」、「雨傘」、「初雪」だけで既に迷うが、
しかしこれでは何か違う気もする。
ああ、どうしよう。
と錯乱している場合ではなかった。すまぬヴィエレ=グリファン。
明日より土佐へ参ります。