えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

引用ついか

どうしてももう入んねえっぽいのでここに挙げさせていただく。
『國文学 解釈と鑑賞』平成14(2002)年12月号に
塚本康彦、網野義紘の対談「荷風文学の軌跡」が掲載されている。
網野氏の発言に、

私はモーパッサンこそもっとも荷風に影響を与えたフランス作家だと思っていますので(後略)
(20ページ)

とあり、つづいて詳しく語っている。

網野 私がモーパッサンが一番荷風に影響を与えた作家だと思う理由は、思想的なことです。『モーパッサンの石像を拝す』という文章で荷風モーパッサンに「怪しきまでに思想の一致を見出します」と言っている。そして「愛と云ひ、恋と云ふものもつまりは虚偽の幻影で、人間は互に不可解の孤立に過ぎない」と書いている。(中略)私は「人間は互に不可解の孤立に過ぎない」という思考はペシミズムだと思う。荷風モーパッサンから学んだ最大のものはペシミズムであるというのが私の考えです。
(21ページ)

私も、そう考える。後年の頑固一徹じじいになるまでの荷風のことを考えると、
なおさら大事ではないかと思う。
けれど、私はこう付け加えたい。
荷風が生涯貫いたいわゆる「個人主義」を下支えしたのが、その「ペシミズム」的な思想ではなかったか、と。


荷風さんの「個人主義」は「エゴイスム」と直結するところが(社会的人間的には)問題ありだが、
そんなことは「芸術家」には関係ない、といえば(多分)ないので、それはいいんだけど、
しかし言葉を換えると、
「人間は互に不可解の孤立」でしかありえない、という思想は、
なんというか「免罪符」のようなものの意味をもたなかっただろうか。
とも思うのである。くだけて言うと、
どうせ分かりあえないんだから、好き勝ってやるしかないでしょ、
という「開き直り」を許容するものとして働いたのではないかと思う。
ま、それも余計なお世話かもしれない。


少なくとも健康な頃のモーパッサンは陽気な社交家で友人も多かったし、
彼は母親を愛し、フロベールを愛した。
一方で、
「人間は互に不可解の孤立」でしかないという思想は、モーパッサンの作品
のあちこちに出てくるし、長編なんか全部そろってそのことを繰り返し述べている
ようなものだ。だから、それが彼の根深い思いであったことを疑う必要もない。
そういうものだ、と私は考えるから、それを矛盾とは思わない。
とにかく、モーパッサンから「学んだ」にせよ、そうでないにせよ、
二人の作家の生き方はどこかで大きくずれてゆく。
そのことだけは、間違いない。