えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ラレ中尉の結婚

Le Mariage du leutenant Laré, 1878
「モザイク」誌、5月25日、「聖水授与者」と同じく、ギ・ド・ヴァルモンの筆名。
普仏戦争を主題にした最初のコントという点で重要な作品。しかしトーンは後と全然異なる。

 戦闘の開始すぐに、ラレ中尉はプロシア軍から2門の大砲を奪った。将軍は彼に言った。「ありがとう、中尉」そして彼に勲章を与えた。
 彼は慎重であると同時に勇敢で、鋭敏で、創意に富み、計略と方策をたくさん備えていたので、百人ほどの人間が託され、彼は斥候を組織し、退却の際に多くの軍を救った。
(1巻65ページ)

とのっけからラレ中尉は英雄として描かれる。
物語はある行軍の経緯を語ったもので、友軍を助けるために夜中に出発した彼の隊は
途中で老人と娘を助けた後、敵軍を追い払って任務を遂行する。
夜、将軍に呼ばれてテントに入ると、助けたあの老人は実はロンフェ=ケディサック伯爵であったことが
分かり、老伯爵はお礼に娘との結婚を勧めた。

 一年後の同じ日、サン・トマ・ダカン教会において、ラレ大尉はルイーズ=オルタンス=ジュヌヴィエーヴ・ド・ロンフェ=ケディサック嬢と結婚した。
 彼女は60万フランの持参金をたずさえ、人の言うところではその年、最も可愛らしい新婦であったという。
(69ページ)

ま、ちょっとあほらしくなるような美談である。あんまり綺麗すぎるのでほとんどおとぎ話みたいである。
ただ、この話をモーパッサンはのちにも2回語り直しているので、愛着のあるものだったらしい。
フォレスチエも言うごとく、これは実際にあった話(を脚色したもの)だった可能性はある。
それにしても、2年後の「脂肪の塊」とのなんたる相違!
ここには、「脂肪の塊」がいかに「突然」出来した傑作であるかを如実に語るような違いが認められる。
『メダンの夕べ』(元案では「滑稽な侵入」)は、当時隆盛していた愛国主義的文芸作品に対する挑発
という意味合いを鮮明に打ち出すものだったけれども、この『ラレ中尉』はほとんどその隆盛に迎合丸出し
の作品となっている。その事実に驚かされるのだ。
明らかに、前回同様、「載せてもらう」ための無名の作者の苦慮の産物であるということはできる。
しかし普仏戦争に対する作者の一種の「曖昧さ」が露呈していると、指摘することも不可能ではあるまい。
戦争は断固反対。でもフランスを無茶苦茶にしたプロイセンは許しがたい、という
素朴といえば素朴な感情と、モーパッサンが無縁でいられたわけではもちろんない。
『聖水授与者』がそうであったように、『脂肪の塊』以前の短編習作には「素の」(と呼ぶ誘惑にかられる)
モーパッサンの姿が垣間見える。ありとあらゆるネタを利用する術を得る前のモーパッサンは、
自分の内にのみ素材を求めていたようだ。ここでも彼の原体験が「理想化」されて表出している
ように見えるのは、そのような事情によるだろう。
『脂肪の塊』がモーパッサンにとっていかに画期的であったかがよく理解されるのだけれど、
言いかえればそれは彼個人にとってさえ「予想外」な産物であったろうと、
今の私は考える。でもそれについて書き出すと長くなるので今日は措いておく。
とにかく、この傑作が傑作たりえた「必然」をよりよく理解するため(だけ)にも、
『ラレ中尉の結婚』が「貴重」な作品として残されているということは確かである。