えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

食後叢書12巻

牧義之、「英訳モーパッサン短篇集「食後叢書」に関する考察(承前)―翻訳から見る第十二巻の存在―」、『北の文庫』第47号、2008年、p. 8-23.
前回の論文は「食後叢書」幻の第12巻は存在した、という発見についてだった
わけだけれども、ではその十二巻は日本にちゃんと入って来ていたのかを、翻訳を
調査することから明らかにしよう、というのが今回の論のメインである。
が、それ以外にも「食後叢書」に関する興味深い(というかよう分からん)話があって、
Guy de Maupassant, The Pedlar ("Le colporteur") and other stories, translated from the French by D. F. Hannigan, London, Mathieson, n. d.
が、なんと中身は「食後」の十二巻とおんなじである、というのがその一。
なるほど翻訳者も出版社も同じのこの本、ちゃんと Webcat に挙がっているのだけれど、
そりゃ気がつきませんとも、ええ。
「食後」12巻より本のサイズも活字も小さい、この本は一体何なのかはよく分からないけれど、
そういう本も日本に入ってきていたということである。
さて本題は、
正宗白鳥、「夜寒」、『讀賣新聞』、明治37(1903)年10月30日 "After"
田中嘯月、「決闘」、『慶應義塾學報』第85号、明治37年12月15日 "A Duel"
三木天遊、「侍女」、『文芸界』第4巻第6号、明治38年5月1日 "The Farmer's wife"
の三作の、「食後」およびダンスタンおよび翻訳を比較し、それぞれの翻訳の元
となった版を決定する、といことにある。それでもって、
じゃじゃーん。なんと正宗白鳥は「食後叢書」12巻を使っていました!
という、なんとびっくりな結論(異論の余地なし)なのである。
(あとの二つは読んでのお楽しみ、ということで内緒にしとこ。)
例の「モウパッサン」のエッセーで、てっきり正宗君はダンスタン派と信じて疑わなかった
私には予想外なことであった。しかしそのエッセーもよく読めば、なるほど「食後」を
使って訳した、というように書いてはあるのであるけれど。
つまりはこの第12巻(おそらく1-10巻とは別に、後から出版されたもの)も、ちゃんと
日本に普及していたこと間違いなし、という結論なのである。
加えて、では田山花袋『東京の三十年』の「十冊か十二冊」という、そもそもの紛糾の原因は
何なのか、という点の考察、及び11巻にも頁数の違う異版が存在する、というこれも意味不明
な話の紹介とがあり、末尾に「食後」とダンスタンの翻訳異同対照表が付されている。
そういうお仕事の成果である。


まず前回のものより質量ともにぐっと重みがまして著者の成長がはっきり見てとれること。
および足を使った地道な調査には実に頭が下がり、翻訳比較というこれも(地味ながら)手堅い調査・
研究の手法が取られていることが、実にもって好ましい。
ということは言っておかなければならない。今後も「食後」およびダンスタンの調査を
進められて、これまであまりにも謎だった(一冊50銭だからと蔑ろにされすぎていた)
モーパッサン英訳本の実態が明らかにされれば、これは広く言って明治期の翻訳文化の実相
さらには明治大正期の近代文学誕生のいわば「裏事情」の解明に貢献するところ
少なくない、ということになるだろう。
ぜひとも今後ともご研究を続けられるように期待したいし、またその成果を楽しみに待ちたい
と、私は本当に思うのである。
ただ、その上であえて一つ意見、というよりも希望を述べさせていただくとするならば、
それは実証研究だけに終わってほしくはない、ということであろう。
私は良心的文学研究者として、実証研究の重要性を最大限に認めることやぶさかではない
人間のつもりである。文学研究というものは、それなしには始まりもしないものである。
けれども事実確認はいわば研究の土台というべきものである。その上に建てられる家が
あってこその土台というものだろう。
「より広く深い射程」に向かって研究を進められるように、と私がお祈りするのは
それ故のことなのであります。
改めて、どうもありがとうでした。