えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

リュパンの冒険

モーリス・ルブラン、『リュパンの冒険』、南洋一郎 訳、創元推理文庫、2005年(36版)
これはしかし、私としてはもひとつ頂けない。
ヒロインのソーニア(表記が古い)に共感が抱けへんのと、
刑事部長ゲルシャールが哀れに情けなく、「公爵」の肩書に弱腰すぎる。
アルセーヌ・リュパンがナルシストであることは今さら言うまでもないとして、
リュパンの犯罪に読者が肩入れしてしまえるには、それ相応の大義名分が必要なはずだけど、
本作はそれが弱すぎるので、要するに厭な奴に見えて仕方あらへん。
とまあ、健全な市民的反応をしてもいたしかたあるまいが。
本作はもとは大衆演劇(1908年アテネ座)の脚本を共作者とともに、初め英語で小説化された
ものだそうなので、他の作品と性質が異なるものであるのは確かで、いいもんと悪いもんが
あからさまに造形化されている辺りの通俗ぶりにもその点は顕著だ。
下品な成金ブルジョアはすべからくこれ悪であって情状酌量の余地なし、というのでは、
当時の一般大衆には十分受けたのかもしれないが、ブルジョアどのは納得されまい。
というわけで、これ以降、「リュパンよりもっと悪い奴」を登場させるという方法が
取られるようになったのではあるまいか、と勝手に理屈をつけて納得してみる。
その時、悪いけどいい奴というリュパンの義賊的立ち位置は明確、かつ落ち着きよくなり、
巨悪に立ち向かう「英雄」の活躍はいよいよスケールでかくなっていくのである。
だけどもその過程で、初期のリュパンものにあったある種の「えぐみ」みたいなものが
よくも悪くも失われていくのではなかろうか、というのが目下の私の抱く印象。
大義名分が立ちすぎると、屈託がなくなってしまうのではなかろうか。