モーリス・ルブラン、『二つの微笑を持つ女』、井上勇 訳、創元推理文庫、1974年(5版)
古本。頼むから増刷してください。1927年発表。
おもむろに一句。
怪盗紳士恋におちればただの人。
今回のお題はキプロコこと「取り違え」。
さしものリュパン君も、美女を前にしては持ち前の判断力もかたなしである、
ということは、ようく分かった。
ラウールことリュパンはドン・ルイス・ペレンナでもあり、
アントニーヌと金髪のクララは混同され、
ポールの親分は実はバルテクスである。
ルブランはよっぽどそういうのが好きである、ということには、これ単に
サスペンスの仕掛けとして有効だったから、という以上の意味を読み取れるのか。
リュパンのは単なる変装ではなくて、身分から住居からすべてを備えた
一個のまるまるの人物になりきってしまう、というところがポイントで、
そこまで行った時に「人格」というものは一体どうなってしまうのか、
ということに、ルブランはさして突っ込みはしないのではあるけれど、
しかしどれが本当の自分だか分からなくなってしまう、というよなことを
リュパンはこぼしていたりする。ある意味、重篤なアイデンティティー・クライシス。
もう一つの人生を生きること。その願望はどこから来るのだろう。
その願望を体現するアルセーヌ・リュパンが、我々の目に魅力的に映るのは、何故なのだろう。
ありえたかもしれない、ありえるかもしれないもう一つの生を生きること、
それは、物語の、あるいは小説の生まれてきた動機の一つであるだろう。
だとすれば、複数の人生を同時に生きてしまうリュパンとは、
存在そのものが小説である、と言えなくもない。
フィクションとしてのリュパン、というフィクションを語るモーリス・ルブラン。
なんか、そういうのをもっとうまく言えないもんであろうか、とか。
それはそうと、ネタばらしになるけれど、「隕石」というのにはのけぞった。
そんなことって、ほんまにあるんでしょうか。おそろしや。