えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

棺桶島

モーリス・ルブラン、『棺桶島』、堀口大學 訳、新潮文庫、1973年(12刷)
ここまで来ると、さすがの私も古いだろう、とは思うんだけど。字が小さいぞ。
『ジュルナル』1919年連載。同年ラフィットより刊行。今は『三十棺桶島』で流通。
これは凄くて、人も言うリュパン・シリーズの中の異色作。
実にまあまがまがしく酸鼻をきわめた事件で、横溝正史を思い出させるのであるけれど、
つまりは論理が迷信を、科学が魔法を、近代が前近代を払拭する、という意味で同型の物語である。
影響がどうかはまったく知らないけれども、「同じ道」を辿った必然というものでもあろうか。
舞台はブルターニュ、メンヒルとドルメンが立ち並び、ドルイドの神話が生きる島。
リュパンはここでもドン・ルイス・ペレンナとして登場する。
さて、ここで改めて問題にすべきはロマン主義である。
怪奇・グロテスク・歴史・神話・廃墟趣味等々はこれ、ロマン主義の特徴に挙げられるもので、
狭義のロマン主義は1820年代から30年代に広まった文学・絵画の運動というか流行というか様式というか
美学というかであるが、これが文学表現のあり方をごっそり塗り替えてしまった結果、
ロマン主義的なるものはその後の文学にも根強く存在し続ける。
1870年代にゾラやモーパッサンが執拗なまでに攻撃した「ロマン主義」というのは、従って
文学運動ではなくて、そういう表象の仕方のあり方そのもののことだ。
ゾラが自然主義を掲げて苦節20年。1880年代後半にそれがどうなったかというと、
右も左も猫も杓子も自然主義に染まってしまうことになる。
この時代に小説を書くということは「自然主義小説」を書く、と同じことを意味する、
それぐらいにまで浸透したのが、レアリスムないし自然主義という文学のあり方であったと、
そんなことを言う人はあんまりいないが、堂々とのたまってみる。
もちろんのこと、反動はすぐにあり、たくさん出てくるが、たとえば
心理小説が自然主義の反動だというのは微視的な見方に過ぎなくて、これは人間性の捉え方の
ヴァリエーションの域を出ない。いずれにしても、日常性の中に普通の人々の普通の
暮らしを捉えて、淡々と物語は進行し、叙述と描写とから成る語りがあって、
その基軸には論理と理性があって、すべては明晰であるような小説、
そういう小説の一つの文法があまねく世に浸透して、以後も長いこと生き続けることになる
というお話であり、それはものの必然としていわゆる大衆小説を産み出すことになる。
と、話をでかくしてもしかたないので、ルブランに戻ると、
これはあたかも20世紀の頭に返り咲いた(あるいは狂い咲いたのか)ロマン主義者と言って
いいのではないかと思えてくる(ナポレオンに代表される英雄志向も、特徴の一つに加えてよく
そういえばロスタンも『エグロン』でナポレオンの息子を題材にして、サラが演じた)。
もっともリュパンの派手な活躍は第一次大戦前後に限定されているようなので、
やはり「戦争」というファクターは外せないのであるけれども。
もっと単純にいえばデュマ父の再来とはかくもあるかな、という感じがすごくする。
モンテ・クリストはまちがいなくリュパンの父祖の一人であろう。
(そう考えると、若いころ一度は「先生」と呼んだモーパッサンはどこいったんかいなあ
という気にもなる。「ありえへん話は信じられへんから感動もせえへん」と、
彼がデュマ流の小説を切って捨てていたことを、ルブランは知っていただろうか。)
なんにせよ、だから私としてはこう思う。
アルセーヌ・リュパンは、19世紀ロマン主義の最後の打ち上げ花火みたいなもんだった、と。
そしてそれは、なかなかどうして盛大な花火であった、と。