えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

リシャール5

かえる

はるばるオーヴェルニュよりご到来のかえるさん。


かくして、詩の形態学は再び見出される。実際、まさしく文体とは人そのものなのだ。
あるいはこう言おう。文体とは、人が混乱の内にも絶えず目指すもの、
それによって無意識のうちに自らの経験を組織化し、そこにおいて自らを作り出し、
自らの真の声を発見するものなのだと。
だからこそ、現実と観念の領域との二つにわたる文体の「地理学」を認識することが必要だ。
なぜなら、文体についての夢想、ある種の文彩についての理想郷的な内省が、
実際のレトリック、実現された文体と同様に重要だからである。
かくして、最初は形式に背を向けたかに見える批評が、最後にはそこに帰着する。
批評は、形式を基礎付け、それを人間的企図に再統合することによって、
それに新たな尊厳を付与することになるのだ。形式とはもはや、発想が従わねばならぬ目的
ではなく、存在が真にその幸福に到達する、理想的な鋳型のようなものなのである。


以下はより簡略に。
次の反論は、このような批評は、クロノロジックな変遷を跡付けることができるのか、
というものであるが、それを明確にすることは困難であると告白せねばならない。
まずもってマラルメの作品がいつ書かれたかは明確に特定されない現実がある。
そしてテーマの変遷とは徐々に進行するものであり、たとえ区切りを示すにしても
各時期の幅は広いものになり、かつまたその境界がどこかも決定しがたい。
ここにおいて問題となっているのは、現代の諸人文科学が直面しているように、
共時的」か「通時的」かの選択を迫られるということである。
もっとも両者を和解させることは可能であり、それは、まず恒常的なものを見定めた上で、
その屈折の年代記的展開を追うことであり、実際我々はそれを試みたのでもある。
マラルメにおいて唯一の柱と呼ぶべきは1866年から70年の間の「転向」において、
マラルメの想像力が、テーマの機能を保持しつつも、その極性に根本的な変化を
見たというところにある。それ以外の転回点は、そのような風景の変質を被ることがないが、
しかし1870年の転向だけをもってしても、その後の作品の外的な展開が、おおよそ、
その意味の内的な進歩に忠実であることを示すのには十分なのである。
もっとも両者の一致がしばしば偶然的であることを認めなければならない。
マラルメにおいては、初期のテーマが晩年の諸作にも変わらずに現れたり、
あるいは全般的な進化と一致しなかったり、それに先立つことさえあるように見える。
結局、テーマの領域においては通時的研究は概略的なものにならざるをえないのだ。
もしもマラルメが外から多くの影響を受けたとしても、それは彼を変えるのではなく深化させた。
状況的なものとは唾棄すべき偶然であり、本質的輝きを保つためには、日々「埃を払う」必要がある。
すべては昔、マラルメのいう「かつて」にあり、源泉は原始的であると同時に太古のものだ。
運命は当初から決定されており、それを方向づけるのは、所与の感性の構造である。
「直観が才能と一致する印象の全体を付与した、その才能は、
直観が最初に採用したのと異なる宿命を始動させるようには思われない」
その「印象」を分析し、その「才能と一致する」性質を示し、それがどのように「全体」として
生きるのかを理解すること。批評の仕事はそのように定義されよう。
だがその印象とは、既に見たように、隠れているか、そうであると自ら告げ知らせることがないから、
言語の影の領域、表現の黄昏の領野に降りていかなければならない。
そこにおいて「潜在する夢」を身体的に感じ取るためには。


ほんまに分かってんのか、とか突っ込んではいけません。
このあたりまでくると、さすがの私にも反論の余地はある。
もちろんリシャールは「マラルメは」という限定を付しているにせよ、
このあまりに決定論的な観点を、私としては採用したいとは思わない。
もし書くということが、本当に、既にそこにあるものの顕在でしかないとすれば
それはあまりにもつまらないものではないのか、と言ってみたくもなる。
実存は本質に先行するんだよ、てなことではもちろんなくて、そもそも
どうして「本質」なるものが存在すると仮定されなければならなかったのか。
1961年のリシャールの論の限界は、恐らくそこにあると私としては(偉そうにも)思う
が、まだ終わってはいないのだ。


夜はFさんのお宅でそのまま焼肉に突入して満腹。ごちそうさまでした。
rienさんからの差し入れはなんと1971年のワイン(メドックでしたか)。
確かに飲みごろは過ぎているのだけれど、渋みがたまりませんでした。