えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

バルザックの圧迫

バルザック;Honoré de Balzac

19世紀仏文学者肖像コレクションで外せないお一人。オノレ・ド・バルザック
と、懲りずにまだ描いてることを自ら暴露。
考えてみれば1850年に亡くなった彼の写真が残っているのもすごいことだ
と気づくが、なんと1842年に撮られたダゲレオタイプなのらしい。
ふーむ、そうだったのか。
これぞロマン派、ということで?赤シャツにしてみました。
例によって配色は適当です。
なんていうか圧迫感あるわあ。


先日、封書にてご丁寧に新聞の切り抜きを送っていただきました。
開けてびっくり。
鹿島茂、「ロマンポルノの"復活"」、『産経新聞』、2010年2月12日、夕刊
往年の日活ロマンポルノが今も高く評価されていることを語って、
いかにそこに傑作が多いかを述べた後の、終結部を丸ごと引用します。

 だが、当時の日活経営陣は自社の作品がファンから高く評価されていることをまったく理解していなかった。それどころか、ロマンポルノを誰よりも恥じ、継子扱いにし、ロマンポルノが健気に稼いだ金を「良心的」と銘打った愚劣な大作につぎ込み、赤字幅を広げていった。それはあたかも、モーパッサン短編『脂肪の塊』のヒロインの娼婦を軽蔑する乗合馬車の乗客に似ていた。すなわち、自ら進んでドイツ人将校の慰みものになることで、宿に足止めを食った他の乗客たちを救った娼婦≪脂肪の塊≫が馬車に戻るや、彼女に軽蔑の眼差しを向け、弁当を分けてやらずにイジワルをした乗客たちにそっくりである。
 この短編の最後は「≪脂肪の塊≫はいつまでも泣きつづけた。ときどき押さえきれない泣き声が、歌のしらべのあいだを縫って暗やみのなかにほとばしった」で終わっている。私はロマンポルノの泣き声がいまもなお映画館の暗やみの中から聞こえてくるようでならないのである。
鹿島茂、「ロマンポルノの"復活"」、『産経新聞』、2010年2月12日、夕刊)

私が「モーパッサン」と「映画」に関心があるのをご存じで送っていただいたのだけど、
私の中ではこの両方は別件扱いであったのだが、
両方を繋ぐ糸はなんと日活ロマンポルノだったのだ。あはは。
小姑みたいな小言を幾つか。
まず、脂肪の塊が「自ら進んで」行動したかどうかは疑問で、
あれは暗黙の強要というに等しかろう。
脂肪の塊はブルジョアという身内の敵に「陥落」させられた、と「戦争」の語で語ることでこそ、
この作品が普仏戦争を背景にしている意味が分かる。
その彼女に対し、周囲の者が「イジワル」をした、という表現も相応しくない気がする。
端的に言って、彼女は用済みになったから、不要なものとして排斥されたのだ。
以下は通訳=娼婦論を語った徳永晴美氏のお言葉。

いいかね、通訳者というものは、売春婦みたいなものなんだ。要る時は、どうしても要る。下手でも、顔がまずくても、とにかく欲しい、必要なんだ。どんなに金を積んでも惜しくないと思えるほど、必要とされる。ところが、用が済んだら、顔も見たくない、消えてほしい、金なんか払えるか、てな気持ちになるものなんだよ。
米原万里、『不実な美女か、貞淑な醜女か』、新潮文庫、2009年(22刷)、14頁)

脂肪の塊を屈服させること、それは貴族・ブルジョアの一団が、自分たちの出発を早めるという
目的を達成するだけでなく、それ以上に、彼らにとって欲望充足の代償行為だった
と、私は考えるのだけれど、最後の場面での彼らの心境を、
上のお言葉は、たいへんあからさまによく語っていると思う。


てな小言は本題ではないので、私の個人的思いでしかないのでいいとして、
はてさて、ロマンポルノ=脂肪の塊から、
私はいかなる結論を出すべきなのか。
これが、なかなかむつかしいんだなあ。