えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

六号病棟・退屈な話

今年が生誕150年だからなのか、どうなのか、
ここのところ文庫本にチェーホフが溢れているようで。
チェーホフ、『子どもたち・曠野』、松下裕 訳、岩波文庫、2009年
は、読み終えてすでに久しい。
濫作作家チェフォンテが、心機一転力を込めて書いたという「曠野」(1888年)は
本当にもう良い作品で、エゴールシカ少年の目に映る自然の光景と
大人の世界とが、実にもう瑞々しくも美しい。
同じく曠野を舞台とした「幸福」(1887年)と、
渡し船の僧イエロニームを語った「聖夜」(1886年)も、
しみじみいとおしい作品。
そいで、
チェーホフ、『六号病棟・退屈な話』、松下裕 訳、2009年
「六号病棟」(1892年)は、私にとっては「狂気」とは何かを問いかける
モーパッサンとも一脈通じる作品ながら、味わいは随分と暗く、
「退屈な話」(1889年)は老教授の独白を通して、これも随分と沈鬱な世界が描かれている。
ここに作者その人がどれぐらい率直に投影されているのか、
チェーホフはそのあたりのことを推察するのが、むつかしい作家だと思う。
この時、チェーホフはまだ29歳だった。
「黒衣の僧」(1894年)も「狂気」を扱った暗い話で、
もしも「狂気」が幸福をもたらし、「正気」がそうではないとしたら、
はたして幸福とは何なのか、という問いをつきつける。
そういえば、モーパッサンにも、狂気こそが幸福をもたらすという一節が
あって、あれは、ええと、「マダム・エルメ」でありました。