えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

駄作はあるか

帰宅して早々、洗濯して色移りをやらかしてしまい、
白シャツが赤シャツに化けてえらくげんなりしたものの、
昨日と今日は正しく(起きて)仕事ができた。
ようやく1880年秋の4編のコルシカ時評まで来る。
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ながいながい2年4カ月。


竜之介さん毎度どうもありがとうございます。
それは、つまり、あれですな。

 早速柳田君にも二、三冊貸した。柳田君は言った。「ひどいね。好いのもあるけれど、随分ひどいのもあるね。こういう作家かね。」
「それが面白いじゃないか。」
「面白いには面白いが、どうも臭味が強すぎるじゃないか。」
「そうかね。」
田山花袋、「丸善の二階」、『東京の三十年』、岩波文庫、1981年、172-173頁)

これを読んでいたのも、今から2年半前のこと。おうおう。
id:etretat1850:20080219
「そうかね」もないもんだと思いつつ、
さて、モーパッサンに駄作はあるのか、どうなのか。
最盛期には週に二本か三本の作品を新聞に載せ、同時進行的に
短編集を編纂したり、長編を執筆したりしつつ、
隙あらば引っ越ししたり、旅行に出かけたり、
社交界に顔を出しつつ、逢引きも欠かさない。
伝記的に見る限り、1880年代半ばのモーパッサンは相当忙しい日々を過ごしており、
それはつまりまあ、一本当たりに割かれる時間に直接的に反映されている
ということは十分に考えられるのであって、
少なくとも恩師フロベールのように書斎にこもってひたすら推敲というような人では
モーパッサンはありませんでした。
彼は自筆草稿をほとんど遺していないのだけれども、残っているものを見ると、
おおむね一気に書き下しつつ、多少の修正が施されているもので、
書き出す時にはぜんぶ頭の中に出来上がっているのだという、本人談がどこかにあったような。
しかしまあ、早書きだから中には凡作もあろうと、決まった話でもないわけで。


では、作者自身はどのように考えていたか。
モーパッサンは生涯に約300の短編を執筆したけれど、
生前、彼が単行本に収めたものは、たぶん全体の3分の2は越えないはずで、
3分の1は一度新聞紙上に出たままに終わった。
あるいは書きなおして別の作品になったか、
あるいは長編にエピソードとして吸収されたものも少なくないけれど、
それでも放置されたものも、やはり少なくはない。
では、短編集に収録されるかされないかの基準は何だったか。
研究者の推測するところ、一番大きな点は、
物語にちゃんとした筋 anecdote が存在しないものは、おおむね収録を見送られるケースが多い。
つまり「短編小説」としての構成を十分に満たしているかどうかという基準からして、
それに漏れる作品は確かに存在した。
しかしまあ、それもだからしてそれが詰らないものである、ということにはならないわけで。


ところで短編小説に「オチ」が必要だ、というのはこれはアングロサクソン系の意見である
(オー・ヘンリーを見よ、ということか)
と言っている研究者がおり、実際、モーパッサンの短編には鮮やかなオチのあるもの
(代表はなんといっても「首飾り」なわけですが)
は必ずしも多くないですね。
むしろ、モーパッサンの作品の本当によいところは、
結末で終わらないところ、というか、最後まで読んだ後の余韻というか、
読み終わった後で、改めてその話について読者に考えさせる、
そういう力を持っているところではあるまいか。そこには、
まさしくチェーホフの言うように、問題の解決ではなく、その提示(だけ)がある。
そしてそこにはかならず作者の観察であり人生観の裏打ちがある。
というわけで、おそらく普通の意味での「面白さ」というのは
見せかけというか、おびき寄せの餌というか、そういった類のものであって、
その奥に一歩踏み込んでみる時にこそ、彼の作品の本当の「面白さ」が
見えてくるのではないか、てなことを思います。


はて、話が逸れたようなそうでもないような。
うむ。駄作かそうでないかというのは、実のところなかなかむつかしい判断が要求されますが、
しかしまあ、300編ぜんぶひっくるめて見てこそ本当のモーパッサンの姿が見えてくるのだし、
軽いのも重いのも、おかしい話もかなしい話も、次から次にと繰り出してみせた
それはまさしく彼の才能の賜物と呼ぶしかありません。
本当に、そんなモーパッサンと竜之介さんのように深く付き合ってくれる読者の
これからも現れてくれることを願ってやみません。


と、なんだか変なところに落ちがついてしまいましたが、
以上をもって、ご返事といたします。
酷暑に負けずに、どうぞよい読書の日々を。