えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

有罪無罪

有罪無罪

今日もわりかしよく働きました。


先日、ご先祖のお家で発掘してきた本、三冊。
1 『現代フランス映画』、飯島正監修、河出新書写真篇、1956年
フランス映画がよく観られていた時代の記録となる一品。


2 モーパッサン、『女の一生』、岡田眞吉譯、白水社、「モーパッサン長編小説」、1937年初版(1949年10版)
なんとこんな本が! と、いささか縁を感じつつ頂いてくる。
白水の「長編小説」集は、戦後まで生き残っていたのだなあ。


3 『有罪無罪』、黒岩涙香譯、集榮館、大正9(1920)年4月1日御届、大正12年(1923)2月27日4版
これが凄い(御届とは驚いた)。
いわゆる翻案小説であるが、最初に人物紹介があって、
區長仙田長禮(原名、センデス、チヨール)
貴族黒戸伯(原名、クロデウス)
警察長官富地(原名、トーミジヨン)
豫審判事軽蓑(原名、ガルビン)
地名澤部町(原名、サルベチユア)云々と、
わざわざ「原名」が書いてある。あて名に苦労がしのばれます。

 西暦千八百七十年は吾國の明治三年に當る歳にして、即ち仏國(ふらんす)が獨逸の兵に攻られ巴里の都をまでも攻略されたる時なり。此翌年七月三十二日(ママ)の夜、十二時も過ぎ孰れの家も寝鎭まりたる頃、裸馬に打乗り、此町を矢の如く馳せ行く一人の農夫あり。其蹄の音が静なる町の敷石を踏鳴らして物凄く響きければ、眠れる人々も目を覺し、時ならぬ此の足音は何事なるかと店の窓より首(かうべ)を出し見るに、件の農夫は早や十町も先に在りて、唯だ一散に馳せ行く音を聞くのみ、姿は月明にも認め得ざれば、人々は定めし近在に何か事ありて、百姓が之を區長に注進する者ならんと推しゐたり。(2頁)
(原文は総ルビ)

この本、翻訳と書いてありながら、どこにも原著者名が書いてないのであるが、
昔の人の考えることは時々よく分からない。
気にはならなかったのだろうか。
なんにせよ、正体はガボリオの『首の綱』La Corde au cou (1873) である。
Émile Gaboriau (1832-1873) は『ルルージュ事件』で有名なフランス推理小説の元祖。
黒岩訳について引用。

 推進役を担ったのは明治時代の新聞界および文壇の大御所の一人、黒岩涙香(1862-1920)である。十代の後半に大阪英語学校、つづいて慶応義塾で英語を学び、外国の政治・法律書や探偵小説を読み耽った。はじめは政治家志望だったが、やがてジャーナリストに転じてこの道で一家をなすにいたる。時はまさに、わが国における近代ジャーナリズムの勃興期にあたり、非凡な才能に恵まれていた涙香はいくつかの新聞の主筆をつとめるようになると同時に、そのかたわら外国の推理小説怪奇小説を翻訳して爆発的な人気を博した。アメリカで刊行されていた大衆文学叢書「シーサイド・ライブラリー」を耽読して技法と語り口を学んだ彼は、簡単、明瞭、痛快の三カ条をモットーに、独特のリズムと調子をもった涙香調を確立したのである。(中略)
 その涙香が明治二十年代に、ガボリオの作品を数篇邦訳している。『ルルージュ事件』が『人耶鬼耶』(明治二十一年)の題で、『書類百十三号』が『銀行奇談 大盗賊』(明治二十二年)の題で、『首の綱』が『有罪無罪』(明治二十二年)の題で、そして『バティニョールの老人』が『血の文字』(明治二十五年)と題して、それぞれ刊行されている。
(小倉孝誠、『推理小説の源流 ガボリオからルブランへ』、淡交社、2002年、73-74頁)

ふむふむ、ほうほう。というわけで、初版はこちら、
仏蘭西小説有罪無罪 : 絵入自由新聞読物』、涙香小子譯、三友社、1889年
になるのであるが、けっこう長生きしたのだ。


翼君と岬君がオリヴィエとトムになるようなもので、
人名を置き換えるのはいずれの世にもあることらしいけれど、
それはつまり、明治時代、少なからぬ人が「クロデウス」という文字に違和感というか、
取っつき難さを感じたということであって、そういう感覚はすでに失われて久しいので、
今となってはまことに奇異に映る(だって舞台はフランスだっていうてるんだぜ)けれども、
しかしまあ、想像力を働かせてみれば、なるほど、そういうものであったのだろう。
モーパッサンの翻訳も最初は翻案が多かったのだ。
てなことを考えつつ、ご先祖様に思いを馳せてみる次第。