えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ジュリヤンについて

なんか目の覚める曲でもないじゃろか、と思ってさ迷ううちに、
Michel Delpeche, "Pour un flirt"(邦題「青春に乾杯」)に辿りつく。
目は覚めたが、腰がくだけた。


引き続き『女の一生』。
ジャンヌの夫ジュリヤンについて、あんまり誰もものを言っていないので、
可哀そうに思って、あれこれ考えてみる。
ジュリヤン・ド・ラマール子爵とはいったい何者か。
亡くなった父親(その名はジャン)の借金返済で財産を失くした、田舎貴族の子息。
身よりなし、財産なし。特徴はおもにその美貌。以上。
驚くべきことには、彼の素性に関して読者はほとんど情報を与えられることがない。
これはもっぱら、この小説がジャンヌの視点から語られることと関係があるわけだけれど、
それはつまり、彼女にとってジュリヤンは、
美貌の青年という現に目の前にある存在としてしか、ほとんど目に入っていないということを意味しよう。
それでそのまま彼の人となりをよく知ることもないままに結婚してしまうところに
問題があったと言えるわけだけれども、そのことでジャンヌを責めるのは酷というものだ。
『エミール』の中でルソーは、女性は自分に相応しい男性を見分ける目を養うべきで、
そのために社交界の場で経験を積むことをむしろ推奨しているのであるが、
ジャンヌといえば修道院に隔離され、出てきた後のお手本は動物だけである。
目の前に現れた最初の男性を理想の人と思ったとしても、いたしかたないではあるまいか。
それはともかく、ジュリヤンの化けの皮は結婚したその日から早くも剥がれはじめる。
ジュリヤン・ド・ラマール。
すなわち、その実態は好色にして吝嗇。見栄っ張りでエゴイストで癇癪持ち、
およそいいところの全然ないどうしようもない人物なのであった。
あんまりどうしようもないので、話の途中で彼が死んでしまっても、
なんとなく天罰でもくだったような気持ちになるので、
およそ読者はその死を憐れむどころか、すぐにその存在を忘れてしまうのである。
曲がりなりにも殺人の犠牲者なのにもかかわらず。
(物語の機能論的に捉えると、彼は役目を終えて不要になったので作者に消されたようなものだ。)
そう思えば、なんだか可哀そうな人物ではあるまいか。


それにしてもである。
モーパッサンは評論文中で、人間の「平均」を描くのが現代の小説だと説いておきながら、
この極端に駄目な(ように見える)人物像が出てくるのは、一体何なんだろうか。
1 モーパッサンにとって、男の「平均」はこんなもんだった。うーむ。
案外そうかもしれないので、この可能性は捨てきれないけども、
2 さすがにそういうことはなく、ジャンヌの不運を凝縮して描くために、
  ことさら負の側面をかき集めて作られた「典型」だからこうなった。
と考えるのが妥当というものであろう。
つまりここにも、状況を極端なまでに単純化して明快に示すという
作者の作為というか計算は明瞭に見て取れるのである。
そう考えるなら、ジュリヤンの「性格」というものは、
実はジャンヌとの明確な対比によって構成されているものだということも分かってくる。
ジャンヌとはつまり、性に対する関心に乏しく、経済観念が欠落し、
世間体は多少気にするものの、もっぱら他者依存的で、忍従するしかない、という人物だ。
(だから彼女が理想化して描かれているということは全然ない。)
およそ正反対の人物同士がくっついて、うまくいくはずがあるまい。
(自然の与えた性格の一致こそが何より大切だと、これもルソーは説いている。)
ジュリヤンは駄目な人物には違いあるまいが、別に悪人というわけでもなく、
おのが欲望のままに生きている、というだけの人物に過ぎない。
彼のマイナス面は、つまり彼の「弱さ」の現れである。
だからここには本当は善悪二元論が成り立っているわけではない。
彼の好色さにしても、そもそもこの小説の中では不倫していない人は
(ジャンヌを除いて)誰も出てこないようなものなのであり、
このへんモーパッサンは大変意地悪いのであるけれども、
ジュリヤンがフールヴィル伯爵夫人ジルベルトと不倫の仲になることによって、
ジュリヤンは身だしなみも愛想もよくなり、ためにジャンヌも心穏やかで、
ジルベルトは機嫌がよくなり、それによって彼女の夫も幸福感に浸ることになるので、
狂信的な神父トルビヤックが事を荒立てたりしなければ、
ある意味、不倫のお陰でこそ万事はつつがなく進んでいたと言うべきなのである。
(この小説で唯一明確に作者の批判の対象になっているのはトルビヤックであろう。)
一見明瞭な二元論的な対立を立てながら、
しかしそれは善悪・正負の価値の二元論に還元されるものではない、
というところに、この小説の「読みどころ」はあるのではなかろうか。


だから何がどうというわけでもないが、だからしてジュリヤンを悪者扱いしてばかりでは、
やっぱり可哀そうすぎるんではあるまいか、とまあ思いもする次第かなと。