えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『寛容論』の中の日本人/ザジ「すべての人」

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 キリスト教徒がお互いに寛容でなければならないのを立証するには、ずば抜けた手腕や技巧を凝らした雄弁を必要としない。さらに進んでわたしはあなたに、すべての人をわれわれの兄弟と思わねばならないと言おう。なに、トルコ人が兄弟だと、シナ人、ユダヤ人、シャム人が兄弟だと君は言うのか。いかにも、そのとおり。われわれはみんな同じ父をもつ子供たち、同じ神の被造物ではなかろうか。

ヴォルテール『寛容論』(1763年)、中川信訳、中公文庫、2011年(2016年4刷)、「第22章 あまねき寛容について」、158頁。)

  トゥールーズの商人ジャン・カラスは、息子マルク=アントワーヌを殺した罪を問われ、死刑に処せられる。1762年3月のことだ。

 ジャンの一家は新教徒だったが、マルク=アントワーヌは翌日にカトリックへの改宗の宣誓をする予定になっていた。それを許すことができずに父親が殺害に及んだと、裁判で認められたのである。だが実際には、これは旧教徒の新教徒への憎悪が生み出した冤罪事件であり、裁判官は世論に与する形で不合理な判決を下したのだった。

 ジャン・カラスの無実を確信したヴォルテールは、関係する書類の出版を行い、当時の名だたる有力者に書簡を送り、さらに世論を喚起するために『寛容論』を執筆した。不寛容がいかに愚行を生み出してきたか、寛容がいかに尊いものであるかを説いた本作は、今でも事あるごとにその名が思い返される作品となっているが、とにかく、カラスの冤罪を勝ち取るためのヴォルテールの獅子奮迅とも言うべき尽力には頭が下がる。誰にもできることではないだろう。

 それはそうと、この『寛容論』には日本人が出てくることをご存知だろうか。

  日本人は全人類中もっとも寛容な国民であり、国内には穏和な一二の宗派が根を下ろしていた。イエズス会士がやってきて一三番目の宗派を樹立したのだが、しかしすぐに他の宗派を容認しようとしなかったために、ご存知のような結果を招いてしまった。すなわち、カトリック同盟のさいにも劣らぬすさまじい内乱がその国土を壊滅させてしまったのである。そのあげく、キリスト教は血の海に溺れ死んだのである。日本人は外の世界に自国の門戸を閉じ、イギリス人の手によってブリテン島から一掃された手合と同類の野獣のごとき存在としてしかわれわれヨーロッパ人を見なくなるに至った。大臣コルベール卿は日本人の助力を得たいと思ったが、相手側ではわれわれフランス人の助力を少しも必要とはしなかったので、この国と貿易関係を樹立する企ては水泡に帰した。大臣は相手がてこでも動かぬのを知らされたのであった。

(同前、「第4章 寛容は危険であるか、またいかなる民族において寛容は許されているか」、42-43頁。)

  全人類中もっとも寛容な国民。それはきっと麗しい誤解に違いなかっただろう。しかしまあ、麗しい誤解であったということは、決して悪いことではなかったに違いない。

 

 なんとなく話の流れで、ザジ Zazie の "Tout le monde"「すべての人」を聴く。1998年のアルバム Made in Love から。

www.youtube.com

Tout le monde il est beau

Quitte à faire de la peine à Jean-Marie

 

Prénom Zazie

Du même pays

Que Sigmund, que Sally

Qu'Alex, et Ali

 

Tout le monde il est beau

Tout le monde il est grand

Assez grand pour tout l'monde

("Tout le monde")

 

すべての人が美しい

たとえジャン=マリーを悲しませるとしても

 

ファーストネーム、ザジ

ジグムント、サリー、

アレックス、アリ

と同じ国に所属

 

すべてのひとが美しい

すべての人が偉大

すべての人にとって十分に偉大

(「すべての人」)

 言わずもがなではあるが、ジャン=マリーとは国民戦線の生みの親のジャン=マリー・ル・ペンのこと。