えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

不意の声

河野多恵子『不意の声』講談社文芸文庫、2005年(4刷)
たいへん気持ちの悪い小説である(というのは褒め言葉だと思うんだけど)。
お母さんを殺すまでに至る経過をこと細かく追っていくところが何より怖く、
人を殺すことの(文学的)リアリティーみたいなのが生々しくて凄い。
ところが後半あれよあれよという間に訳が分からなくなって、どーんと
突き飛ばされておしまいになってしまって、後味がこれまたよろしくない(というのも褒め言葉)。
で「あとがき」にはこう述べられている。

 この小説の主人公にとっては、非現実なもうひとつの世界は、現実世界と全く変らぬ鮮明なリアリティをもっている。その両者をそなえた世界こそ、彼女にとっての本当の現実なのだ。(183-4ページ)

なるほどそうかいな、と思うけれど、しかし今さら「非現実」だと言われても困ってしまうじゃないか。
「作家案内」で鈴木貞美は「狂気」の語で説明した後にこう付け加えている。

 もちろんこれは小説であり、小説の世界に巻き込まれるのは読者であり、実害を受けることはない。というより、狂気のレアリテを楽しめばよいのである。(214ページ)

なるほどそうかいな、とまた思うのであるけれど、やわな私はには全然「楽しめ」たもんではない。
これは一体何なのか、というのを説明づけようとすれば、否応なく精神分析に向かうことになろうし、
現にそういう論文がネット上にも公開されているのが読める。
それはそれで確かに理が通ってはいるのだけれども、説明がつけばそれでいいというものでもなく、
なんでこんな小説書かないといかんのですか。というのが私の内に残る根本的な疑問だ。
そういうのも説明づけようとすると今度は作者の精神分析に行かねばならないのかもしれず、
そういうのは措いておいても、作者にとっては書かなければ、書かれなければならない理由が当然
あったのだろう。じゃあこういう作品を「読まなければならない」ような読者というのは一体
誰なんだろうか、と思わないでもない。
自明のことながら文学作品は万人のために書かれたものではありえない。
とにかくそういう個性の強い作品であるということだけは、私にもよく分かる。