えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

太宰治「富岳百景」のモウパスサン

「モウパスサンの小説に、どこかの令嬢が、貴公子のところへ毎晩、河を泳いで逢いにいったと書いて在ったが、着物は、どうしたのだろうね。まさか、裸ではなかろう。」
「そうですね。」青年たちも、考えた。「海水着じゃないでしょうか。」
「頭の上に着物を載せて、むすびつけて、そうして泳いでいったのかな?」
青年たちは笑った。
「それとも、着物のままはいって、ずぶ濡れの姿で貴公子と逢って、ふたりでストオヴでかわかしたのかな? そうすると、かえるときには、どうするだろう。せっかく、かわかした着物を、またずぶ濡れにして、泳がなければいけない。心配だね。貴公子のほうで泳いで来ればいいのに。男なら、猿股一つで泳いでも、そんなにみっともなくないからね。貴公子、鉄鎚だったのかな?」
太宰治、「富岳百景」、『太宰治全集』2巻、ちくま文庫、1988年、146頁)

単刀直入に、この「モウパスサン」は何だろうか、という問いに対しては、私が今のところ思いつく短編は、「従卒」しかない。新潮文庫にも入っているので、それから引いておく。

ある日、わたしたちは鷸(しぎ)が島であいびきをすることにしました。ご存じでしょう。水車小屋のうしろの小さな島です。わたしはそこまで泳いでゆくことにし、あの人は叢のなかで待つことにしたのです。そして、帰るところを人に見られないために、あの人だけは夕方までそこにいることにしていました。
(『モーパッサン短編集III』、青柳瑞穂訳、新潮文庫、1971年、134-135頁)

どうやら川の中の島らしいので、「貴公子」も泳いでいったのかと思うが、あるいはボートでも乗ったのか、よく分からなく、モーパッサンにしても随分素っ気ない文章だという感じはするし、太宰の疑問もむべなるかな、という気もしなくはない。
というわけで、この話を読んでも「着物」問題は解決しないのだけれど、少なくとも「ストオヴ」という可能性はなく、また一方、太宰が語っている以上に、実は暗い話ではある。
実際に太宰が読んだのは何だったのか(英訳か、翻訳か、仏語ではない気がするけど)も多少なりと気になるところではあります。
ま、とりあえずのところは、それだけといえばそれだけの話でありました、とさ。