おもむろに宣伝させていただきます。
アラン・パジェス、『フランス自然主義文学』、足立和彦訳、白水社、文庫クセジュ、2013年5月
もうすぐ刊行です!
Q980 フランス自然主義文学 - 白水社
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はるか以前から出したいと思っていたクセジュ文庫の『自然主義』、昨年、白水社にご快諾いただきまして、ようやく完成しました。
わーい、わーい。
フロベール、ゴンクール、ドーデ、ゾラ、モーパッサン、ユイスマンス等にご関心のある方には、19世紀後半のフランス「自然主義」とは何だったのかを改めて考えさせてくれる格好の書となっていると思います。
翻訳の甲乙に関しては何も申せませんが、読みやすくなるように全力を尽くしました。
お読みくださる方がいらっしゃいましたら大変嬉しいです。なにとぞどうぞほんまにまことによろしくお願い申し上げます。
それはそうと、ふと思い立って時評文の翻訳をしたので、こちらも宣伝。
モーパッサン 「小説」
同業者ジャン・リシュパンの宣伝記事でありながら、リシュパンに反論する形で「描写」の重要性を説いている、この時期のモーパッサンの小説美学について、貴重な示唆を与えてくれる重要な評論です。
ポイントは、描写の名人としておもむろにディケンズが出てくるところ。
ディケンズならどれほどの注意を払って、行為が成立する場を指し示すことができるものか、ぜひご覧いただきたい。彼は指し示す以上にはっきりと提示し、その場を親しみの持てるものとし、そうすることでドラマの波乱をより本当らしく、必然的なものにさえしてみせるのである。かような筋の展開は、別の環境の中で提示されたなら、その精彩や感動を失うことだろう。
モーパッサンがディケンズに言及している箇所は恐らく他にないと思うので、彼がどれほど読んで、どれほどの知識に基づいて書いているのかは不明ではある。
ところで、実際のところ、リシュパンの件の小説には描写はたいへん少なく、その意味で、この記事はじつのところは相当な「批判記事」だと、少なくともリシュパンの側からすれば、そう読めるものである。
同じ新聞紙上に書くもの同士でこんな風にやりあっているところも当時の新聞の面白い点の一つであるだろう。