えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』/-M-「スーパーシェリ」

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』表紙

 これも「読んだ」という記録に。

 ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、田口俊樹訳、新潮文庫、2014年

 原作発表は1934年。道路沿いの安食堂に飛び込んだ青年フランク(語り手)は、ギリシャ人の店主に店で働かないかと声をかけられる。フランクは妻のコーラに目をつけ、二人はすぐに恋仲になる。不愉快な夫、しがない暮らしに我慢できない二人は、亭主の殺害を計画するが……。

 単線ながら先行きの読めない展開や、地方検事との丁々発止のやり取りといったところが、いかにも映画的に感じられる。もっとも、そもそも作者がハリウッドで映画脚本などを手掛けていたことを考えれば自然なことかもしれず、何度も映画化されるのもさもありなんという気がする。

 基本的にはろくでなしの話でありながら、それでもこの主人公は憎めないように感じられる。それはどうしてかと考えていて思い当たるのは、これは計画犯罪の物語であるが、実は主人公の行動はぜんぜん思い通りに進行していないということだ。最初の計画は通りすがりの猫によって狂わされ、二度目の計画でもフランク自身が予定外の怪我を負ってしまう。そして地方検事や弁護士たちは彼ら自身の勝手な思惑で事件を操り、フランクとコーラは彼らに弄ばれているにも等しい。最後に到るまで二人は外的な要因に左右されるがままであり、それゆえに結末はいわば悲劇的な様相を帯びるのだと言えるだろう。

 言い換えると、本作において個人は無力であり、運命に翻弄されるばかりの存在として描かれている。その人間観に見られる悲観主義が、あるいは30年代アメリカの雰囲気を映し出しているのかもしれないと思う。

 

 -M-こと Matthieu Chedid マチュー・シェディッドの2019年のアルバム『無限の手紙』Lettre infinie より、「スーパーシェリ」"Superchérie"。相変わらずの頭。

 とりあえず最初の2節のみ翻訳。

www.youtube.com

Ma muse m'aimante

M'amuse et me hante

Elle est toujours elle-même

C'est bien pour ça que je l'aime

 

Tellement addict

Que je suis accro

Accroché à ses ailes

J'suis pas beau !

Ma super chérie...

("Superchérie")

 

僕のミューズが僕を愛して

僕を楽しませ、取り憑く

彼女はいつも彼女自身で

だから僕は彼女が好きさ

 

あまりにも溺れて

僕は恋している

彼女の翼につかまって

僕は美男子じゃない!

僕の最愛の人……

(「スーパーシェリ」)