ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』(上下)、辻昶・松下和則訳、岩波文庫、2016年
は、なんとも長い小説だ。1482年1月6日、「らんちき祭り」の日に、パリ裁判所で聖史劇が行われる、というところから始まるのだが、まずこの裁判所の場面(第1編)がやたらに長い。貧乏詩人グランゴワールを狂言回し役に、中世の「民衆」の姿を描いてみせようという作者の意欲は分からないではないが、それがうまくいっているのかどうか、面白いのかどうか、なんとも言葉にしようがない。
第2編で、グランゴワールは夜の街をさ迷ううちに、物乞いの一団に捕まり、彼らが集う「奇跡御殿」で処刑されそうになるが、踊り子のエスメラルダに助けられ、彼女と形だけの結婚をする。この間に、司教補佐クロード・フロロとカジモドがエスメラルダを攫おうとし、それを射手隊隊長のフェビュスが助け、エスメラルダは彼を恋するようになるというエピソードが語られはするが、主筋と言えるものは、まだそれだけである。
そして、ここからようやく物語が始まるかと思いきや、第3編は世に名高いノートル=ダムの建築礼賛、さらに当時の街の様子を幻視者のごとく描き出す「パリ鳥瞰」の章であり、著者の蘊蓄がこれでもかとばかりに繰り出される。今どきの読者にとって、ここを乗り越えるのはなかなか大変であるに違いない。
第4編で、ようやくフロロとカジモドの過去が語られる。第5編では、フロロのもとを客人(実は国王ルイ11世)が訪れ、そこでフロロが「書物が建物を滅ぼすだろう」という謎めいた言葉を述べる。すると、すかさず作者自身によって、この言葉についての講釈がひとしきり述べられる。第6編では「おこもりさん」の話が語られ、彼女は最終的に重要な役割を果たすことになるが、この時点ではそれはよく分からない。そしてカジモドがさらし台で刑を受け、彼にエスメラルダが憐れみをかける場面(そのためにカジモドは彼女を愛するようになる)で終わるのだが、ここまででやっと上巻が終わる。469頁。
フロロ、カジモド、エスメラルダ、フェビュスの四者の物語がこの作品の「主筋」であるとすれば、いわば上巻ぜんぶを使ってようやく舞台設定が整うわけで、主筋は下巻から始まるようなものだと言えよう。
とはいえ、下巻に入るとさすがに物語は激しく動き出す。第7編では、フェビュスとエスメラルダが逢引きをすることになり、その様子を窺っていたフロロが、嫉妬を爆発させてフェビュスを刺して逃亡する。第8編、牢屋の中で彼がエスメラルダに愛の苦しみを打ち明ける場面、また、拷問によって罪を白状させられたエスメラルダが、処刑場へ向かう直前、カジモドが彼女をさらって「避難所」ノートル=ダムに匿う場面(第8編)は圧巻だ。そのエスメラルダを、もはや半狂乱のフロロが襲う場面(第9編)も強烈であり、そしてクライマックス、クロパンらごろつきの一団がエスメラルダ略奪のためにノートル=ダムを襲撃し、カジモドが一人で獅子奮迅の活躍をする場面(第10編)は、実に映画的とも言える迫力ある情景だ(途中の国王の場面が冗長ではあるが、これは意図的なサスペンスと取るべきか)。そして結末へと向かう第11編まで、激しいドラマが繰り広げられる様はさすがであり、大いに読み応えがある。
およそユゴーの世界にあっては、ニュアンスとか抑制とかいったものは存在しない。すべては最上級、極限の情念の大奔流である。ここに繰り広げられているのは、いわば紙上のオペラ、言葉だけのミュージカルのようなものだ。フロロも、カジモドも、それぞれに胸から迸り出るアリアを絶唱しているのだと思えば、あの長台詞も納得がいく。オペラやミュージカルは、その極端な性質ゆえに万人受けするジャンルとは言い難いが、その点もユゴーの小説に当てはまるかもしれない。『ノートル=ダム・ド・パリ』も『レ・ミゼラブル』も、そもそも作者が脚本からすべての配役までをこなす一人オペラであれば、それが映画、ミュージカル、アニメに繰り返し翻案されてきたことも、いわば当然のことと言えるだろうか。
この小説のもたらした反響の結果、19世紀初頭には荒廃していたノートル=ダム大聖堂は、ヴィオレ・ル・デュクらによって修復されることになった、と、ノートル=ダムが火事にあったあの日、フランスのテレビでは繰り返し語られていた。また、その後、ユゴーのこの小説がよく売れているというニュースも聞いた。
大文字の歴史にまさしく自らの名を刻みこみ、200年近く経った後にも、繰り返しその名が呼び返される、という事実こそが、なによりユゴーの破格の天才ぶりを語っているように思われたことだった。
Mylène Farmer ミレーヌ・ファルメールの"Des larmes" 「涙」。
Des larmes, des larmes, des larmes, des larmes
De peine, de joie sur mes joues, là
Sillonnent, sillonnent, sillonnent
Des larmes, des larmes, des larmes, à quoi
À quoi bon vivre si t'es pas là ?
Je m'isole, m'isole, m'isole
("Des larmes")
涙、涙、涙、涙
痛みの、喜びの、私の頬に
筋を残す、残す、残す
涙、涙、涙、何に
生きて何になるの、あなたがいないなら?
私はひとり、ひとり、ひとり
(「涙」)