鹿島茂『フランス文学は役に立つ!』、NHK出版、2016年を読む。
「役に立つか立たないか」という功利主義的な発想は、えてして短絡的で底が浅いものである。したがって、「役に立つか」というような問いを安直に立てないような人になるためにこそ、文学は有用であって「役に立つ」のである、云々……。
と、多くの場合に文学愛好家はもごもご歯切れ悪く呟いたりするものなのだが、そんな逡巡なにするものぞ、ずばり「フランス文学は役に立つ!」と言い切ってしまうところが、鹿島先生の面目躍如なところである。
では、何故にフランス文学は役に立つと言えるのか。
フランスは大革命の人権宣言に明らかなように、個こそが最も貴い価値であり、社会の目指すべき方向は個の解放にあると定めた最初の国だからです。ようするに、1人の人間が自分の人生を自分の好きなように使って「やりたいことをやる」と思ったとき(これを、普通、「自我の目覚め」と呼びます)、たとえ家族や社会のルールとぶつかろうと、基本的にはそれを貫くのは「良い」ことだと見なした最初の国がフランスであり、フランス文学はその見事な反映だということです。
(「まえがき」、『フランス文学は役に立つ!』、5頁)
そこで、振り返って現代の日本社会を眺めると、フランス文学の扱っているテーマが、今の日本社会の直面する問題であることに気づかされる。
なぜでしょう?
それは「個」の解放の先進国であるフランスが大革命後、あるいは第一次大戦後に直面した問題が、第二次大戦後にアメリカから外圧を受けて遅ればせながら「個」の解放を始めた日本社会に、200年あるいは100年のタイムラグを伴って出現し、ようやくアクチュアルな課題となりつつあるからです。
(同前、6頁)
なるほど、そう言われればそうかもしれない(という気になってくる)。文学作品を人生の教科書にするということは、別に古臭いことでもなんでもない。そういう読書こそが切実な体験となることも、とりわけ若い頃にはあるはずだ。よし、そのフランス文学とやらを読んでみよう(と思う読者のたくさんいることを祈りたい)。
では、いったいどんな小説が取り上げられているのか、目次を眺めてみよう。
17世紀~18世紀文学
1 ラファイエット夫人『クレ―ヴの奥方』
4 コンスタン『アドルフ』
19世紀文学
5 スタンダール『赤と黒』
7 メリメ『カルメン』
8 ネルヴァル『シルヴィー』
9 フロベール『ボヴァリー夫人』
世紀末文学
11 ヴァレス『子ども』
12 ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』
13 ユイスマンス『さかしま』
14 モーパッサン『ベラミ』
15 ルナール『にんじん』
20世紀文学I
17 コレット『シェリ』
18 コクトー『恐るべき子どもたち』
20世紀文学II
19 サルトル『嘔吐』
20 カミュ『異邦人』
21 サン=テグジュペリ『プティ・プランス(星の王子さま)』
22 エーメ『壁抜け男』
23 ヴィアン『日々の泡』
24 ロブ=グリエ『消しゴム』
以上の全24作品である。
この中には、「最高の「恋愛分析」の報告書」(『クレーヴの奥方』)あり、「恋愛においてやってはいけない6か条」の指南(『アドルフ』)あり、「ゲームとしての恋愛」(『赤と黒』)あり、「かなうことのない自己実現」の夢(『ボヴァリー夫人』)あり、「同志婚」(『ボヌール・デ・ダム百貨店』)あり、「新しい女性たちの出現」(『ベラミ』)あり、はたまた「アラ・フィフ女性がいかに年下男と付き合うべきか」の答(『シェリ』)がある。
一方で、鹿島茂の手にかかると、ネルヴァルも、ユイスマンスも、プルーストも、サルトルも、みんなそろって「元祖オタク」と断定されてしまうのだが、資本主義とヴァーチャル・リアリティーの世界に生きる現代人の宿命とでもいえようか。
これらの作品の内に、現代日本社会を生き抜くための答がすぐに見つかるかどうかは分からない。それでも、少なくとも対象を相対化してくれる視点を手に入れることはできるだろう。
ところで、ここに挙げられている作品のほとんどには、今も簡単に入手できる翻訳が2種類以上存在しているという事実は、改めて見直せばやはり凄いことに違いない。面白いこと保証済みの傑作のオンパレード、なにはともあれ読まれてほしい作品ばかり。
ぜひ、鹿島先生の講座に入門されてみてはいかがだろうか。
Zaz は正直なところ、もうひとつピンとこないのだけれども、それでも2014年のアルバム Paris 。ベタな「シャンゼリゼ」も、とっても洒落ている。
Aux Champs-Elysées, aux Champs-Elysées
Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit
Il y a tout ce que vous voulez
Aux Champs-Elysées
("Champs-Elysée")
晴れでも雨でも、正午でも深夜でも
欲しいものは全部あるんだ
シャンゼリゼには
(「シャンゼリゼ」)