えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

驚きもものき

竜之介さん、コメントをどうもありがとうございました。
今回書いてくださったことに、私は全面的に同意します
(ので、言うことが何にもないぐらい)。
もし、現実というのが酷いものだとしても、
文学においてそれを描かなければいけないということはなく、
美しいもの、理想的なものをこそ、芸術は描くべきだ。
というのが、いわゆる反リアリズムの一つの主張の在り方
筆頭株主ジョルジュ・サンド)としてあります。
モーパッサンならば、しかしそれは逃避でしょ、と言っただろう。
第三者的には、もちろん「どちらもあっていい」というところに落ち着くのだけれど、
究極的にどちらかを取るとするなら、私は恐らくモーパッサンをとるのだろうな、
という風に、まあ思うわけです。
ところで、「誠実」こそがモーパッサンのキーワードだ、
と最初に喝破したのは、1883年の詩人テオドール・ド・バンヴィルという人で、
その記事を次は訳そう、と思って、とりあえず先に似顔絵だけ書いて、
止まってしまってるんだな、こりがまた。これぞ本末転倒。
人は「私は誠実である」と言うことはできななくて、
ただ誠実であろうとすることができる。と、時に私は思うのだけれども、
フィクションという嘘において「嘘をつかない」というのも、考えてみると
筋の通らないような話でありながら、しかし何というのだろう、
「文飾」に溺れない、酔わない、ということが、
竜之介さんのおっしゃるモーパッサンの「冷静沈着さ」を生んでいるのだと
思います。
そういうのは、バルザックとかゾラと比べると、すごくよく分かる。


徒然に思うところを述べました。
でさてさて、
19世紀フランス社会を知るのに、鹿島茂せんせいのご本は、
どれもたいへん読みやすくてお勧めできると思います。
『馬車が買いたい』男性編の対になる
『明日は舞踏会』(中公文庫)女性編ほか、どれも面白く読めます。
もっとも、19世紀フランス社会が「堕落」しておった、
というのは、まあ、モーパッサン個人の見立てであって、
もちろん一般的事実というようなものではないわけですが、
それはともかく、鹿島せんせいの本は「風俗史」に類するものではあります。
例によって「モーパッサンを巡って」の「日本語文献」の一番下をご参照
いただければ、と思いますが、もっともぜんぜん充実してないお恥ずかしい代物です。
この中で、世紀末に焦点を絞っているという点で、特に名を挙げておきたいのが、
山田登世子、『リゾート世紀末 水の記憶の旅』、筑摩書房、1998年
冒頭からモーパッサンの短編「春」の引用で始まるこの書は、
モーパッサンがばんばん出てくる点でもお勧めですが、
「リゾート」、「水」を中心テーマに置きながら、
ベルエポック期の社会の転換が、いかに20世紀に続く新しい時代を生みだして
いったかを説く好著です。
とか言いながら、読んだのは大昔のことで、内容をあんまり覚えていなかったり
するので、今ぱらぱら見ていて、あーら、びっくり。
「第八章 スピード世紀末」において、
スポーツの話でクーベルタンマカルーンの伝記がちゃんと引かれてる!)
から、アルセーヌ・リュパン(本文ではルパンと表記)へと続き、
両者の精神的近接性が見事に説かれているではありませんか!
この三年の私の関心のありどころが、この数頁の内に見事に
凝縮しているといっても、こりゃあ過言ではありますまい。
うーむ。おそれいりました。


ということがあったので、取り急ぎご返事したためました。
また追々、大事な本の話はしていきたいと思いますので、
気長にお待ちいただければありがたいです。
ではでは、どうぞよい読書を。