えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

純粋自我みたいな何か/ヴァネッサ・パラディ「あなたを見るとすぐに」

 1月21日(土)関西マラルメ研究会@京都大学人文科学研究所、の3階の談話室には「以文会友」の額(が外して立てかけてあった)。出典は『論語』「顔淵 第十二」の24である、と。

曾氏曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く。

 

曾先生の教え。教養人は、学芸を通じて友人と会合する。その友誼によって、おたがいに人格を高めることを助け合う。

(『論語加地伸行全注釈、講談社学術文庫、2004年、290頁)

 まことにかくありたいものであります。

 さて読書会では、前回の続きから「彼は部屋を出て、そして階段に消える」(プレイヤッド1巻485-487頁)を読み終えた(一応)。

 側壁があり、前後は闇(あるいは過去と未来?)の廊下のような場所。どちらの側へ向かうべきなのか? 完成された自己意識となった「私」は時間と空間から解き放たれ、もはや偶然を恐れる必要はなくなるのか? しかししつこく聞こえる心臓の音。下半身、上半身(心臓がある場所)を切り離し、純粋な自我、あるいは思惟作用そのものみたいな何かになることによって「私」は「私」の内に融解せんとするその時、心臓の音が再び回帰し、「私」は生へと戻って来ることになる……。

 と、自分で書いていても分かっているとは言えないような状況ではある。恐らくは、「私」の一人称の語りによりながら、その「私」の自己意識を完全に「非人称化」、あるいは「非人物化」させようとする試み(とその挫折)の、テクスト的実践(あるいは再構築)……。ああ、頭が痺れる。

 

 なので気晴らしにヴァネッサ・パラディ。2007 年のアルバム Divinidylle(日本版のタイトルは『神々しき純愛』)。"Dès que j'te vois"「あなたを見るとすぐに」は、MことMatthieu Chédid が作詞作曲。言葉遊びの固まりみたいな歌詞。

www.youtube.com

Est-ce que si on l'avait fait,

On se ferait l'effet
Que l'on se fait chaque fois
Si on l'avait fait
On se ferait l'effet que l'on se fait
(""Dès que j'te vois)
 
もうしそうしていたら
毎回互いに与えあう影響を
お互いに与えあうのかな
もしそうしていたら
お互いに影響を与えあうのに
(「あなたを見るとすぐに」)

 うーむ。これでいいのかな、本当に。

BD版『セルジュ・ゲンズブール』/「唇によだれ」

f:id:etretat1850:20170209110550j:plain

 フランソワ・ダンベルトン原作・アレクシ・シャベール漫画、『セルジュ・ゲンズブール バンド・デシネで読むその人生と音楽と女たち』、鈴木孝弥訳、DU BOOKS、2016年を読む。

  ゲンズブールの伝記としては先にジョアン・スファール監督の Gainsbourg (Vie héroïque)ゲンズブールと女たち』(2010)があって、漫画で取り上げられているエピソードの多くは映画とも共通している。はじめは画家を志すがやがてシャンソンに乗り出すも、左岸派シャンソンが売れず、イエイエで一山当てたところから、破滅的な道のりが本格的に始まってゆく。ブリジッド・バルドー、ジェーン・バーキンとの交際、ロック、レゲエ、(売れない)映画等々と続き、バーキンと別れた頃からどんどんと汚れてぼろぼろになり、最後は肝硬変を患い、心臓発作で62歳で亡くなるまで、目まぐるしくもスキャンダラスでありつづけた、実に見事な生涯である。

 漫画はそうした波乱万丈な生涯を丁寧に辿ってゆくが、随所に漫画ならではの表現を織り交ぜながら、品よくスタイリッシュに纏めあげている。ゲンズブールをはじめとした人物が皆、本物と実によく似ているのであるが、だんだん薄汚れていくところもしっかり表現されているところが素晴らしい(褒めるところなのか)。なんでも限定1,500部ならしいけれど(普段1,500部も刷ったら凄いという世界に棲息している者にとっては驚くばかりだが)、没後25周年を経た現在、ぜひとも多くの若い人にも、この希代の傑物を発見してほしいと思う。

 セルジュ・ゲンズブールのような人物はいかにもフランスにしか登場しえないだろうと思われる大きな理由が、私の考えでは少なくとも2点ある。一つはこの国に深く根づいた個人主義の価値観であり、もう一つはプロテスタント的な倫理感では許容されないような放縦を許してしまう、なんというのか一種の社会道徳の「緩さ」である。いや、結局のところこれは同じ一つのことなのかもしれない。とはいえさしものフランスにおいても、このような無茶苦茶な人は今後はもう現れることはないだろうか。

 ゲンズブールの歌は、ナチ・ロックの頃より後はなんだか難しくて、私には正直よく分からない。しかしイエイエに行く前の60年代前半のシャンソンの、実によく出来た歌詞には深く感心させられる。試しに一曲挙げてみよう。1960年、映画のおかげで最初のヒットになったという「唇によだれ」。スイスの放送局RTSのアルシーヴより(もうこの頃から煙草を吸っている)。

www.youtube.com

Laisse-toi au gré du courant

Porter dans le lit du torrent

Et dans le mien

Si tu veux bien

Quittons la rive

Partons à la dérive

("L'eau à la bouche")

 

流れに身を任せて

急流に運ばれればいい

そして僕のベッドで

お望みなら

岸辺を離れよう

成行き任せに漂流しよう

(「唇によだれ」)

 ごく何気ない曲だけれども、lit の語に「川床」と「寝床」の両方の意味があることを利用した言葉遊びによって、詩的かつ官能的なイメージが鮮やかに浮かび上がる(日本語にはとても表せない)。そもそもここで水のイメージが出てくるのは「よだれ」として使われるeau 「水」 からの連想としても自然であるし、「唇」の語が曲の最後で「僕」から「君」へ移って締められるところも実に綺麗である。こういうのがつまり「文学的」というものであろうが、いやもうまことに言葉の達人である。

 というわけで柄にもなくゲンズブールについて語ってしまった。ご容赦願います。

映画『マドモワゼル・フィフィ』/クリスチーヌ&ザ・クイーンズ「サン・クロード」

映画『マドモワゼル・フィフィ』


 本日、映画『マドモワゼル・フィフィ』を(フランス版のDVDで)鑑賞。1944年、ロバート・ワイズ監督。シモーヌ・シモン主演。

 「脂肪の塊」と「マドモワゼル・フィフィ」をくっつけて一本の作品にするという発想は、クリスチャン=ジャックの『脂肪の塊』(1945)と同じものであって、当然のごとく、どちらもナチス・ドイツに対するレジスタンを称える意図を明確に持った作品である。はて、これは偶然の一致ということなのか? なんにしてもフランス版はわりと単純に両作品をくっつけただけなのに対して、このハリウッド版の脚本ははるかに手が込んでいて、一体感があってよく出来ている。

 大きな改変の1は、主人公エリザベート・ルーセが娼婦ではなく洗濯女であり、彼女はトートとディエップの間にある Cleresville クレールヴィルなる町に帰るために馬車に乗り合わせることになった、という設定。

 第2に、このクレールヴィルの司祭が抵抗の印として教会の鐘を鳴らさないでいるのだが(それ自体は原作「マドモワゼル・フィフィ」と同じ)、彼の後任となる若い司祭が(原作「脂肪の塊」の二人の修道女の代わりに)同じく馬車に乗っている。

 第3に、トートの宿屋にいるプロシア将校が、〈マドモワゼル・フィフィ〉その人となっている。

 第4に、ここが興味深いところであるが、〈マドモワゼル・フィフィ〉は洗濯女エリザベート(彼女は愛国心が強く、決してドイツ人の言うことを聞かないことで知られている)に、文字通りに「一緒に夕食を取ること」を強要する(そして彼女はそれを拒絶する)のである。これは当時のハリウッドの倫理コード上必然的な変更点なのだろうが、いかにも苦肉の策の感は否めない。しかしその代わりに、プロシア将校があくまで彼女を「精神的に屈服させる」ことに固執するという状況は、なんとなく原作よりも高尚な感じを抱かせる変更であって、それはそれとして面白くもある。

 第5に、コルニュデはいったんは他の乗客たちの陰謀に加担し、エリザベートの説得に一役買うのであるが、後にそれを反省して、ここからだんだんといい役に変わってゆく。このあたりの工夫はうまいと思う。

 第6に、エリザベートはクレールヴィルでおばの洗濯場での仕事に戻るのだが、プロシア将校たちが宴会を企て、(娼婦ならぬ)洗濯女たちを占拠している城館へと連れてくることになる。

 第7に、コルニュデは新しい神父と一緒に教会の鐘を守ることを決意し、見回りにやってきたプロシア兵を銃で狙撃し、逃亡する。まさしくレジスタンになるわけである。

 第8に、〈マドモワゼル・フィフィ〉を刺殺して逃亡したエリザベートは、コルニュデと合流し、ともに司祭によって教会にかくまわれる。コルニュデはレジスタンに加わることを決意し、エリザベートの隠れる鐘楼で、司祭が〈マドモワゼル・フィフィ〉の弔鐘を鳴らすところで幕となる。

 以上がおおよその原作との変更点であり、二作品の融合という点ではわりとよく出来ているように思われた。主人公エリザベートは周囲の人物のためにやむなくドイツ将校に屈するも、最後には自尊心を守って身をもって抵抗し、その心意気にうたれてコルニュデも回心して一人の闘士となるのであるから、実に一貫したレジスタンス称揚の物語になっていると言えるだろう。もちろん自己の経済的利益しか考慮しないブルジョア市民(それはつまり時代状況において考えればヴィシー政権に加担するコラボということになるだろう)への諷刺も含まれているので、当時のフランスの観客にどう受け止められたかは想像しにくいところもある。

 ごく個人的には、原作「マドモワゼル・フィフィ」はやはり素直に対独抵抗(を称える)物語として読まれうるし、現にそう読まれてきたという事実を粛々と受け止めるしかない。いや、そんなに単純な話ではないだろうと、心の底の思いはなかなか消し去れないけれども。

 

  おおよそ一周して、クリスチーヌ&ザ・クイーンズに戻ってくる。赤の「サン・クロード」。美しい。

www.youtube.com

Here’s my station

But if you say just one word I’ll stay with you

("Saint Claude")

 

「持参金」、あるいは結婚詐欺/クリストフ・マエ「人形のような娘」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「持参金」は1884年9月に『ジル・ブラース』に掲載。シモン・ルブリュマン氏はジャンヌ・コルディエ嬢と結婚することになる。ルブリュマン氏は公証人の事務所を譲りうけたばかりで支払いが必要だが、新婦には30万フランの持参金があった。

 新婚夫婦は二人きりで仲睦まじく一週間を過ごすが、そこで夫がパリへの旅行を持ちかける。そして、事務所の支払いを済ませるために、持参金の全額を用意するように妻に求めるのだった……。

 結婚詐欺というものは古今東西を問わずに存在するのだろうし、詐欺師は男ばかりとも限るまいけれど、19世紀のフランスにあっては、作品の表題ともなっている持参金の慣習があった。つまり、貴族・ブルジョアの娘が家柄の良い相手と結婚するためには多額の持参金が必要だった(夫婦財産契約こそは、バルザックが大好きなテーマの一つであった)。そうであれば結婚詐欺をたくらむのはやはり男の方が多かったのだろうか。まんまと30万フランをせしめた男は「いまごろはベルギーあたりへ高とびしているよ」(『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、300頁)と述べられているが、当時の社会にあっては姿をくらますのも比較的容易だったかもしれない。いずれにせよ本作は、文字通り新聞の三面記事の題材になりそうな事件を、物語風に語ってみせた一編であり、そうした主題と構成自体、これもいかにも当時の新聞小説らしい要素を備えたものとなっている。

 何も見逃すことのない、プレイヤッド版編者のルイ・フォレスチエ先生は、パリの町をさ迷うもう一人のジャンヌの存在を指摘することを忘れたりはしない。つまり『女の一生』のヒロインのジャンヌは、息子ポールの行方を尋ねてパリの町を彷徨したのだった。地方に住む者にとって、19世紀の首都たるパリという都会の喧噪は、さぞ驚きをもって体験されたことであろう。そして、行く当ても知れぬ乗合馬車に一人残された新妻の孤独に焦点を当てる本作にも、当時の社会にあって弱い立場にあった女性への、作者の同情的な視線を認めることができるだろう。

 

 以上で光文社古典新訳文庫の『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』(太田浩一訳)の収録作を一通り読み終えた。その結果については我ながら心もとなく、万年一日で同じことばかりを繰り返しているような気がしないでもない。

 それはそうと改めて収録作を見直すと、ノルマンディーの農民ものがまったく取られていない点がやや惜しまれるだろうか(新潮との重複を避ければ仕方ないかもしれないが)。中編では「ミス・ハリエット」を入れなかったのは個人的にはすごく残念で、恐らくは「遺産」や「イヴェット」も割愛となったようである。ま、この種の不平は言うだけ野暮に違いない。してみると、2巻の中核を占めるのは、「パラン氏」、「ロックの娘」、あるいは「オルラ」(決定稿)あたりか? と、ついついこれも余計な詮索をしてみたりしつつ、なんにせよ無事の刊行を期待したい。

 

 クリストフ・マエは、実を言えば2013年のアルバム Je veux du bonheur の方が良かったと、個人的には思う。"La Poupée" は、「お人形のようにかわいい子」の意味だろうか。

www.youtube.com

Elle était si belle la poupée

Elle que les anges avaient oubliée
Et si on l'avait un peu regardée

Peut-être que

L'hiver ne l'aurait pas brisée

("La Poupée")

 

彼女はとても美しかった 人形のような娘

天使たちが置き去りにした彼女

彼女に目が留まったのは

きっと

冬にも壊されなかったからだろう

(「人形のような娘」)

「痙攣」、あるいは早すぎた埋葬/クリストフ・マエ「パリジェンヌ」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「痙攣」は1884年7月に『ゴーロワ』に掲載。舞台は温泉保養地のシャテルギヨン。モーパッサンは自ら湯治のために、この地に最近に訪れていたようである。また、新聞小説において説明抜きの語り手「私」は、容易に署名者=作家と同一視されえたから、初出時において、少なくとも形式的にはフィクションとノンフィクションの境界は曖昧だった。ちなみにシャテルギヨン(現在の正式名称は Châtel-Guyon シャテル=ギヨン)の名は「ギィの城」に基づき、つまりはオーヴェルニュ伯ギィ2世の築いた城が町の始まりだったらしいが、ギィ・ド・モーパッサンがこの町に足を向けたのは、そこに縁を感じたからだろうか?

 その町で語り手は奇妙な親子に出会うわけだが、その父と娘は「まるでエドガー・ポーの小説に登場する人物のように見えた」(『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、272頁)と述べられている。父親には物を手に取る時に手が痙攣してしまうという癖がある。娘のほうは病気のようで弱弱しい。語り手は彼らと親しくなり、父親から、娘を早まって埋葬してしまったという事件の顛末を聞かされる……。

 さて、周知のとおりポーには「早すぎた埋葬」と題する作品があり、さらにはなんと言っても「アッシャー家の崩壊」が存在している。ことあるたびにポーの名を引き合いに出すモーパッサンが、ボードレール訳でこの作品を読んでいなかったとは考えにくい。さて、このポーへの言及は先行作品への目くばせなのだろうか。

 モーパッサンがこれに類する事件を実際に耳にしたのか、あるいはこれが純然たる作者の想像だったのかは分からない。ただ、確かなことは、モーパッサンはこの物語を普通の恐怖小説のように、核心となる出来事を伏せたまま、未知の何かがもたらす恐怖に焦点を当てるような書き方はしなかった、という事実である。もしもそのように語っていれば、娘の「幽霊」の登場と、それが掻き立てる恐怖がもっと強調して描かれていたに違いないのだが、彼はそうはしなかった。代わりに、クロニック(今でいうエッセー)の形式の中で、旅先で出会った人物の語る物語の中で、比較的あっさりと出来事を語っている。

 恐らく、ここで語られるような事件は、仮にそれが実際に起こったことであったとしても、その例外性と異常さゆえに「本当らしさ」に欠けると思われたがゆえに、モーパッサンはこれを「小説らしく」語ることを避けたのではないか、そんな風に私には見える。作者が生前に、この作品を短編集に採らなかった理由も、その辺りにありそうな気がしている。

 新聞小説は読者の耳目を引くために非日常的、例外的な事象を好んで語るのであるが、しかし同時に、その突飛な出来事は「本当に起こりうる」ものと感じられなければならない(そうでなければ読者は興覚めしてしまうだろう)。「本当らしいありそうもない出来事」というこの矛盾の存在を、読んでいる当の読者に感じさせないようにすること。そこにこそ、「新聞小説」の書き手の腕の見せ所があったのである。

 

 本日はChristophe Maé クリストフ・マエの2016年のアルバム L'Attrappe-rêves (『夢を追う者』とでも訳すのか)から、"La Parisienne"。

www.youtube.com

Elle habite Paris

Elle a des converses blanches

Je comprends plus ce qu'elle dit

Elle habite Paris pourvu que rien ne change

("La Parisienne")

 

彼女はパリに住んでいる

彼女の会話は中身がなくて

何を言っているのか僕にはもう分からない

彼女はパリに住んでいる 何も変わりませんように

(「パリジェンヌ」)

  はて、converses blanches の意味がもう一つよく分からない。もしかして「白いコンヴァース」とかけているのか?

「ロンドリ姉妹」、あるいは南国の女/アブダル・マリック「ダニエル・ダルク」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「解説」で触れられているように、モーパッサンには長編(新聞連載の後に単行本)と短編(新聞一回読み切り)の間に、中間の長さの作品が複数存在している。その多くは短編集編纂の際に核となる作品(そのタイトルが作品集のタイトルになる)を書き下ろしたものである。「ロンドリ姉妹」は1884年に『エコー・ド・パリ』のフィユトンにまず連載されているが、やはりそのような中編の一つである。

 同じく「解説」に記されているが、かつてアルマン・ラヌーは中編こそ傑作ぞろいだと賞讃した。実際にそこでは作者に自由に筆を動かす余裕があった分、短編よりも人物造形に立体感があり、また随所に挟まれる情景描写は、作品を「生きた」ものにする上で不可欠なものであり、モーパッサン文学の肝とも言える部分になっている。「ロンドリ姉妹」において、南仏を通ってジェノヴァまで行く列車から眺めるオレンジやレモンの森の光景、夜に飛び交う蛍の姿などはその好例であろう。あるいは旅で出会ったイタリア人女性フランチェスカの身体描写を加えてもいいかもしれない。

 この世に、眠っている女ほど美しいものがあるだろうか? 身体の輪郭はどこもかしこもやわらかく、曲線という曲線が目を惹きつけ、ふっくらと盛りあがった部分はことごとく心をかき乱す。女の身体はベッドに横たわるためにできているのではないかと思えるほどだ。波をえがく曲線がわき腹のあたりでくぼみ、腰の近くで盛りあがったかと思うと、脚に向かって優しくなだらかにくだり、じつに艶めかしく足の先までつづいている。女性の身体の線のえも言われぬ魅力を描きつくそうと思ったら、寝台のシーツの上に身を横たえている姿にかぎるな。

(「ロンドリ姉妹」、『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、太田浩一訳、光文社古典新訳文庫、2016年、244頁)

  外界の自然が限りなく官能的に描かれる一方で、人間の身体は自然(動物)に近接する。かくして南国の地は全体として愛の息吹の温床となり、北からの旅人を虜にするのだと言えるだろうか。

 それはそうとしても、正直に言うと、私はこの作品をさほど評価する気にはならない。南国で官能的な美女と後腐れのないアヴァンチュールを楽しむ男の自慢話。いや、モーパッサンもそういう話を書いているということに文句をつける必要はべつにない。ただ、この種の批評性に乏しい作品には、私はあまり関心が向かないというだけのことだ。「異国の女」に対するエキゾチックなファンタスムは、それ自体、当時の新聞の(男性)読者にとっては好個の話題であったに違いない。そうしたものは、今の日本の読者にはどのように受け止められるだろうか。

 

 アブダル・マリックの2015年のアルバム Scarifications(これは民族学用語の「身体瘢痕」のことだと思われる)は、ラップとエレクトロミュージックの融合として、その筋では高く評価されているようだけれど、その分(私のような)一般の聴衆はとまどわされたのではないだろうか。「ダニエル・ダルク」は、文字通り元タクシー・ガールの歌手に捧げたオマージュ。冒頭(および最後)は彼の "La Taille de mon âme" 「俺の魂の大きさ」の歌詞の借用。

www.youtube.com

La vie dure un hennissement d'un cheval galopant

C'est littéralement qu'il faut le prendre, on ne vit pas suffisamment

Précisément, désespérément, je suis le roi du rock

Perfecto tout de noir vêtu

Blanches sont mes vertus

("Daniel Darc")

 

厳しい人生 ギャロップする馬のいななき

それを文字通りに取るべきだ 人は十分に生きていない

正確に、絶望的に、俺はロックの王

革ジャン 真っ黒な身なりでも

俺の美徳は真っ白だ

(「ダニエル・ダルク」)

 まあ正直よく分かってるとは申し上げられませんけども。

「散歩」、あるいは人生の空虚/テテ「君の人生のサウンドトラック」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「散歩」は1884年5月、『ジル・ブラース』に掲載された作品。

 40年間、実直に会社に勤めていた男性、ルラが、ある春の宵、陽気に誘われるようにして街に出る。凱旋門の近くの店のテラス席で食事をとり、さらにブーローニュの森まで散歩することに決める。行き交う馬車にはどれも愛しあう恋人たちの姿……。

 作品集『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』の中で一番暗い、いやモーパッサンの作品全体においても相当暗い部類に入るこの作品は、しかしこの作品集で一番の問題作だと言えるだろう。

 「散歩」は極めてパスカル的な作品である。パスカルによるならば、我々は皆「気晴らし」にうつつを抜かすことで、行く末には死あるのみという自分たちの宿命から目を逸らしつづけている。この作品の主人公のルラ氏は、まさしくその「気晴らし」の最中において、いささか逆説的なことにも、この先の人生が空虚でしかないことを悟るのである。パスカルならばそこで神に帰依せよ、ということになるだろうが、神なき時代の19世紀末に、そのような道は残されてはいない。人生が虚無であるという「真実」の残酷さに耐えられないルラ氏に残された方途は、みずから死を選ぶことにしかない。

 翌日、死体が発見された後、作品は次の言葉で終わっている。

 死因は自殺であるとの結論が出たものの、その原因については皆目わからなかった。あるいは、にわかに狂気の発作にみまわれたのであろうか?

(「散歩」、『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、太田浩一訳、光文社古典新訳文庫、2016年、199頁)

 それまで平穏に暮らしてきた人間が突然に自死を遂げれば、その理由を理解できないその他の人間にとっては「気がふれた」と見なされることだろう。だがここで作者が暗に言わんとしていることとはもちろん、この「狂気」こそがあるいは真の「明晰さ」ではないのか、という問い掛けである。

 『雨傘』と同じ新聞紙面に、笑劇とまったく並列的にこのような作品もぽんぽんと掲載してみせたところに、モーパッサンという作家の特異さがあるだろう。普通に考えれば、このような暗い作品は新聞読者に喜ばれるような種類のものではない。矢継ぎ早に発表した短編作品、そして『女の一生』の成功によって、この時期のモーパッサンは新聞紙面に好きなことを書けるフリーハンドを手にしていたからこそ、こういう作品を発表することもできたわけだが、言い換えれば、ここには読者におもねらない、自立した作家としてのモーパッサンがいると言えるだろう。

 

 テテについては挙げたい曲は幾つもあるが、気分を盛り上げるために、今日はとりわけ元気のいい曲を挙げておこう。たとえ、それでは「気晴らし」に埋没することになるのだとしても。

 2013年のアルバム Nu là-bas 『裸のままで』所収の「君の人生のサウンドトラック」。

www.youtube.com

Le bon refrain au bon moment

La bande son de ta vie

Un goût de rien

Si fort pourtant

La bande son de ta,

De ta vie 

("La Bande son de ta vie")

 

心地よいタイミングの 心地よいリフレイン

君の人生のサウンドトラック

“無” の味がする

こんなに強烈なのに……

君のサウンドトラック、

君の人生の……

(「君の人生のサウンドトラック」、西中コイック百合子訳)

 

 例によってなんの脈略もない引用。

 井伏君の「貸間あり」には描写はないというような乱暴な言葉を使ったが、描写という言葉は、所謂リアリズム小説の誕生以来、小説家の意識にずい分乱暴を働いて来たのである。ハイ・ファイという言葉がある。言うまでもなくハイ・フィデリティの略語で、現物再現の効率の高さを誇る意味合に由来する語であろうが、文学上のリアリズムとは、或る作家の一種の人生観を指すのが本義であって、現物再現の技術の意味は附けたりだ。モーパッサンのリアリズムの本義に比べれば、附けたりばかりが派手に拡がって了ったものだ。ハイ・ファイという便利な言葉が出来たのなら、例えば、カメラのリアリズムというような曖昧な言葉は止めにして、カメラのハイ・ファイという事にしてはどうか。

小林秀雄「井伏君の「貸間あり」」、『考えるヒント』、文春文庫、2009年新装版第9刷、38-39頁)