えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

純粋自我みたいな何か/ヴァネッサ・パラディ「あなたを見るとすぐに」

 1月21日(土)関西マラルメ研究会@京都大学人文科学研究所、の3階の談話室には「以文会友」の額(が外して立てかけてあった)。出典は『論語』「顔淵 第十二」の24である、と。

曾氏曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く。

 

曾先生の教え。教養人は、学芸を通じて友人と会合する。その友誼によって、おたがいに人格を高めることを助け合う。

(『論語加地伸行全注釈、講談社学術文庫、2004年、290頁)

 まことにかくありたいものであります。

 さて読書会では、前回の続きから「彼は部屋を出て、そして階段に消える」(プレイヤッド1巻485-487頁)を読み終えた(一応)。

 側壁があり、前後は闇(あるいは過去と未来?)の廊下のような場所。どちらの側へ向かうべきなのか? 完成された自己意識となった「私」は時間と空間から解き放たれ、もはや偶然を恐れる必要はなくなるのか? しかししつこく聞こえる心臓の音。下半身、上半身(心臓がある場所)を切り離し、純粋な自我、あるいは思惟作用そのものみたいな何かになることによって「私」は「私」の内に融解せんとするその時、心臓の音が再び回帰し、「私」は生へと戻って来ることになる……。

 と、自分で書いていても分かっているとは言えないような状況ではある。恐らくは、「私」の一人称の語りによりながら、その「私」の自己意識を完全に「非人称化」、あるいは「非人物化」させようとする試み(とその挫折)の、テクスト的実践(あるいは再構築)……。ああ、頭が痺れる。

 

 なので気晴らしにヴァネッサ・パラディ。2007 年のアルバム Divinidylle(日本版のタイトルは『神々しき純愛』)。"Dès que j'te vois"「あなたを見るとすぐに」は、MことMatthieu Chédid が作詞作曲。言葉遊びの固まりみたいな歌詞。

www.youtube.com

Est-ce que si on l'avait fait,

On se ferait l'effet
Que l'on se fait chaque fois
Si on l'avait fait
On se ferait l'effet que l'on se fait
(""Dès que j'te vois)
 
もうしそうしていたら
毎回互いに与えあう影響を
お互いに与えあうのかな
もしそうしていたら
お互いに影響を与えあうのに
(「あなたを見るとすぐに」)

 うーむ。これでいいのかな、本当に。