えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

シュリ・プリュドム

etretat18502008-01-06

届いた古本の封筒にはってあった切手
がなんと Sully Prudhomme (1839-1907)だったので、へーと思って写真にとる。
2007年はシュリ・プリュドム没後百年でもあったのだ。
と言っても知る人も少なかろうけれど、ノーベル文学賞受賞者第一号がこの人だ。
プチ・ロベールにも載っている。
はじめ技師で法律も学び、裕福だったので詩にかまける。パルナス派に参加するも
詩集『スタンスとポエム』(1865)以来、詩人の生の声が聞かれ、「魂の内奥の繊細な熱情」
の表現に特色あり。内面的なニュアンスを歌う哀歌詩人で、メランコリーと恋愛の苦悩を
『孤独』(1869)『空しい愛情』(1875)で歌う。ルクレティウスの翻訳も行い、
詩と科学の結合を夢想し、長大な哲学詩を著す。『正義』(1878)『幸福』(1888)では、
良心と現代世界との衝突を扱う。美学・哲学のエッセーおよび批評あり。
1881年アカデミー入り。1901年、ノーベル文学賞
世紀末のフランスで一番読まれていた(生きてる)詩人はフランソワ・コペーとこのシュリ・プリュドム
だった、と言ってもたぶんそんなに間違ってないだろう。それはつまり古典的教養と現代社会の良識を
体現するところの権威ある偉い詩人だった、ということである。
写真の本は
OEuvres de Sully Prudhomme. Poésie 1879-1888. Le Prisme - Le Bonheur, Alphonse Lemerre, s. d.
せっかくなので『プリズム』冒頭の詩でも訳してみよう。

霊感


我々の詩句が生まれるのは、しばしば
霊感からであり、突然に
古い記憶を呼び起こすのだ
近くから、あるいは遠くからの呼び声で。


巡り合わせが我らの夢想を操る
詩はその意のままだ。
一本の薔薇が咲くのを目にする時、
私は同時にある微笑みを見出す。


その香りが私の魂に触れる時、
その優しげな目覚めが掻き立てるのは
いつかの古い恋であり、それは私の
涙やため息を求める。


足もとに生き生きと水が流れる時
その波の震える水晶や、
その音楽は人間的と思え
私にすすり泣きを呼び起こす。


空気が一枚の落葉を追い払う時、
私は思う、そのおぼろな道行を
我々をも運び去る風を
我々の未知なる明日を。


青空を霧が過る時には、
無限を測る必要がある
空間から空間へと私は飛ぶ
夢が去り、夢へと結ばれあう。


かくして我がミューズは世界に頼り
偶然からのみ受け取る
その豊かな霊感を
技芸はそれに決して勝らない。

8音節交差韻4行かけるの7詩節。到ってオーソドックスかつ、
1879年に堂々と inspiration を歌ってミューズとか言っちゃうところ、
これを要するにロマン主義の影響濃厚の詩句と述べてよかろうと思う。
技芸より霊感と言っちゃうあたり、元パルナシヤンとも思えないのでもある。
がしかし、この種の外的世界と内面の呼応はなにがしかプレ・サンボリスム的なものを
含むような気もしないでもないが、どうだろう。感傷性においてはヴェルレーヌと相通じるもの
もないわけではないような気もする(奇しくも「秋の歌」と類似の表現もある。)
ま、詩の良し悪しの判定は私にはできないのだけれど、
こういう詩句がまかり通っている世の中に、モーパッサン
レアリスムでエロチックで健康的でたくましい詩句がばばーんと登場すると
それなりのインパクトは確かにあるよな、
とうことが理解されるように思うのだ。
というわけで遅まきながら、没後百周年の個人的追悼のつもり。
そういえばモーパッサンがクロニックで引用している詩が同じ詩集に入っているので、
最後にそれも訳しておこう。扇にこういう詩句を書いて女性に贈る習慣がもっと広まればいいのに
と色男モーパッサンは言っており、自身でもちゃんと実践している。さすがだ。
ちなみにこれも8音節交差韻4行詩節。


我が優美なる羽ばたきに
そよ風を従わせるのは、私。
おお、女達よ。時にはあなた方の目に
より生き生きと涼しい風をお届けしよう。


時には通りすがりにそよ風を捕まえ
優しげな囚われものにして
あなた方のお顔を愛撫させよう
ゆっくりと、温かく、嘆きのような風で。


あなた方の髪が震える中、
耳を赤らませるような溜息を
告白の燃えるような吐息を
お届けするのは、私。


あなた方のために、そよ風をそそのかし
隠す役に立たせるのは、私
からかうようなあなた方の笑み
あなた方の涙を、そよ風は吹いて去らせるのだ。