えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

お返事に代えまして

rienさん、書き込みありがとうございます。
この場で取り急ぎお返事させていただきます。
モーパッサンと雑誌「文芸共和国」との関わりについては
モーパッサン 書簡
最初の書簡48信をぜひお読みください。
フロベールから編集長カチュール・マンデスに推薦されたということでありますが、
ご承知のようにこの雑誌にはフロベールも関わりました。
ちなみにモーパッサンは Guy de Valmont ちゅうペン・ネームでフロベール論に、詩を都合3回
計5篇、掲載しました。
カチュール・マンデスという人は「文士」という言葉の似合いそうな豪放磊落な人であった
ようですが、主義主張よりおのが地位が大事でかつ社交性に富むこういう人物こそ、
当時の文学界を知るよい助けとなると思われます。ぶっちゃけ
「文芸共和国」はパルナス派の雑誌でもなんでもなく、なんでもござれで売れれば勝ち
という発想であったことは、これまた有名なゾラ『居酒屋』の掲載にも明らかですが、
パルナス派と自然主義とは実際のとこ作家同士の交流が少なからずあったということでも
あるわけです。ユイスマンスも参加してますよね。もっとも、ごりごりパルナス派の反感を
買わないわけではなかったということもあります。
しかしより根本的に重要なことは、新人作家(とりわけ詩人)がデビューを果たすのにちょうどよい
媒体が存在しない、という事情があったということの方かもしれません。モーパッサンのような
曖昧なスタンスを取る詩人にとって、「文芸共和国」がうってつけの場であったことは
疑いないところですし、より広くシャルル・クリストフ的文学「市場」を考えさせる
素材とも言えるのではないでしょうか。
ところで「文芸共和国」とはまたなんとマラルメ的なタイトルであることでしょう。
rienさんのご関心ももちろんそこかと思います。私、確証は何にもございませんが、
実は雑誌編集の裏にいたのはマラルメだ、という話を聞いたことがあります。
本当だとすればなかなか面白い話だと思いますが、どうなんでしょうか。
「文芸共和国」はガリカにも載ってますねー。面白い話がみっかったら
ぜひ教えてくださいませ。それではでは。