えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

モーパッサン、タヒチ、ロチ

ところでモーパッサンの全作品をコーパスに"Tahiti"で検索をかけるとどう出るか。
無いだろうと思っていたら、意外や一件だけヒットする。
「パリからルーアンへ」、『ジル・ブラース』、1883年6月19日、モーフリニューズ署名
で、クロニックに分類されているけれど、二人組の男が四日かけてセーヌ河を下った
旅行ノートを、最後に瓶に入れて流したのを、私モーフリニューズが見つけました
という体裁なので、フィクションといってもいい。が内容は、時事ネタも込みの詳しい
旅行記になっているので、こういうのは本当になんとも分類しがたい一編だ。
という訳で大変面白い作品ながら、それはともかくも、その冒頭。
ある者はナイアガラを見にアメリカまで行き、別の者はトンキンまで頭を割られに行く、
と世の旅行者をからかい混じりに列挙する中、日本、インド、コンスタンチノープル
アフリカと来て、その次に出てくる。

また別の者たちはタヒチに行って、いかがわしい風俗の半ば野生的な女たちにビビ=テュテュなんて名づけてもらうのだが、ナイーヴな航海者たちがその風俗を詩的に美化したのだった。
Guy de Maupassant, "De Paris à Rouen" (1883), in Chroniques, t. II, U. G. E., coll. "10/18", 1980, p. 219.

うーん、これは一体何だろう。
フィクションの語り手の言葉なので、これをそのまま作者の意見とは取らないでおくと
しても、他には一切出てこない以上、
モーパッサンタヒチへの関心がさしてあったとも思われず、
じゃあ何かなあ、というところで思い出したのは、
もちろんピエール・ロチ、『ロチの結婚』(1880)年だ。
若きジュリアン・ヴィヨーは1872年、
タヒチで女王ポマレから「ロチ」の名前を貰ったのである。
モーパッサン(ロチと同い年)は彼のことを時代遅れのロマンチストとして常に批判的
だったのだけれど、その揶揄がこんなところにもこっそり忍び込んでいた
ということだね。
モーパッサンにとってタヒチとは「ロチが行った異国」という以上のものでは
なかった、ということにもなるだろうか。
それはそうと19世紀半ばにフランスはタヒチを自国の領土と宣言し、
1880年代に入って大々的に植民が行われたというから、
話題としてはホットなものだった、と推察される。
ま、植民地の話はしだすと収拾がつかなくなるので、
とりあえずまあ、そういう些細なお話でしたとさ。