えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

レオン・ブルムもいた

粛々と自分の勤めを果たすのみ。

 La crainte de paraître emprunter leur indulgence au pathétique des circonstances aura détourné quelques-uns de mes amis d'exprimer une admiration ou même une sympathie. J'avouerai que j'aime beaucoup Maupassant. Les contes qui commencèrent sa réputation sont, dans son œuvre, la part la moins solide : l'observation pour être juste y est courte. Ses derniers romans, qui vinrent après sa réputation faite, ne furent que des romans à succès. Mais Une Vie ou Pierre et Jean valent par un dramatique sobre et discret, par la précision du trait, par l'absence d'analyse... « Et lui-même sculptait en parlant, avec des reliefs surprenants et des modèles délicieux obtenus par la justesse des mots... ». – Léon Blum.
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
 状況の悲壮さがために寛容を装っていると見られることを怖れるがゆえに、私の友人の何人かは賞讃や、共感でさえも表明するのを遠ざける、ということになるだろう。私は、モーパッサンを大変に好きであることを告白しよう。彼の評判をもたらし始めた短編小説は、彼の作品の中では最も不確かな部分である。正確であろうとする観察眼は、そこでは不十分なものだ。彼の最後の長編小説は、評判が既に確立した後に登場したものであるが、成功した小説であるに過ぎない。だが『女の一生』や『ピエールとジャン』は、控え目で慎みあるドラマ性によって、表現の正確さによって、分析の省略によって価値あるものだ・・・。「そして彼自身、言葉の正確さによって得られる驚くべき浮き彫りと魅力的な型とによって、話しながら彫像してゆくのだった」――レオン・ブルム

ある意味で言えば一番の大物かもしれないレオン・ブルム。
Léon Blum (1872-1950)
アンリ四世校でアンドレ・ジッドと知り合い、文学活動を開始。1892年より『ルヴュ・ブランシュ』で評論活動を行う。95年に国務院に入り、ドレフュス事件を機に本格的に政治の世界に身を投じる。社会党に入党し、1919年より代議士に。1936年には人民戦線内閣首班。ヴィシー政権に反対し、強制収容所に収監される。戦後再び首相を勤めた。
モーリス・ピュジョの次にブルムというのがなんとも凄い。
(ちなみにいえばレオン・ブルムはユダヤ人であった。)
バルビュスと並んで、若きブルムもモーパッサンを好意的に評価しているということも注目される。
(もっとも、けっこう厳しい評価ではあるけれど。)
ある意味では「象徴派」というのは、世に出たい若者達が集まる寄り所みたいな面があったことも、
こうして眺めているとおのずと見えてくるようだ。
つまりは、けっこう雑多な集団であった、ということでもあろう。
ところで、最後の部分は引用であるが、若干不正確なので原文を引いておく。

 Et lui-même il sculptait en parlant, avec des reliefs surprenants et de délicieux modelés obtenus par la justesse des mots.
(G. de Maupassant, Notre cœur (1890), IIe partie, chapitre VII, in Romans, Gallimard coll. « Bibliothèque de la Pléiade », 1987, p. 1140.)

『我らの心』の彫刻家プレドレは芸術に身も心も奪われた、真の芸術家という役割を担う人物で、
アマチュア芸術家のマリオルや社交家小説家ラマルトと対比される。
ブルムの引用は、プレドレを作者モーパッサンに重ね合わせたものであろう。


こうして見てくると、60年代生まれと70年代生まれの間に、ある断絶があることが感じられ、
それが、つまりは19世紀と20世紀との分かれ目でもある。
というか、20世紀の視線はここに分割線を見て来た、という言い方の方が正しいか。
ジャリが73年、ヴァレリープルーストが71年。
クローデルが68年でジッドが69年、というのをほぼ上限にして、
ここに引ける線が意味するところは何であったのか。
70年代生まれは90年代に20代で、1900年代に30代。第一次大戦時に40代というところ。
このことはもう少し考えたいと思う。