えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

モーパッサンのお墓に

モーパッサンの墓

夏の終わりに、モンパルナス墓地にある、
モーパッサンのお墓にお参りしておこう。


この夏の個人的課題は、日刊紙『ジル・ブラース』を読むことだった。
1881年末にモーパッサンが寄稿を開始した時、
紙上ですでに活躍していた作家の中心メンバーはテオドール・ド・バンヴィルカチュール・マンデス、アルマン・シルヴェストル、ジャン・リシュパン、ルネ・メズロワといったところだった。(時評家アンリ・フーキエの名前も外せない。)


彼らはある意味で、「通りすがりの人を楽しませる」という『ジル・ブラース』の標語に忠実であって、せっせと面白いお話を書き継いでいた。軽妙な調子で機知にも富み、好色な話題にも事欠かない彼らの作品は、確かに面白く、気晴らしに向いたものであったが、それ故に、まことに軽い。軽薄といっていいほどに、軽い。


その中にあって、彼らを手本としながら執筆を始めたモーパッサンは、彼らと比較するときに、実に真面目だった、ということを、私は知った。
もちろん、モーパッサンも読者を楽しませるという目的を忘れることはないのであるが、(友人たちと馬鹿騒ぎするのが大好きだった彼は、
そういうことが実に得意だったのでもある)三面記事的な題材を取り扱いながらも、彼の作品は、そこに社会性、批評性と、広い意味での芸術性を持つ点において、一過性の読み物を超えた深みと、長い射程とをそなえている。
娯楽性と社会批評とが分離せずに結び合っていること。モーパッサンの短編小説が、世代を超えて読み継がれる理由はそこにある。


バンヴィル、マンデス、シルヴェストルは高踏派の中心メンバーだった人物であり、リシュパンも詩から出発した。
彼らにとって、『ジル・ブラース』に載せる散文は、いわば余技といっていい位置付けであっただろうと推察される。
モーパッサンにとっては、そうではなかった。1回に新聞の欄2段から3段という限られたスペースで、その日その日の気まぐれな読者を相手に語りかけるという行為の中で、いわば最大限に有効なパフォーマンスを発揮すること。
作家・芸術家として、真面目に仕事に取り組むこと。
そのことによって、モーパッサンは、新聞を媒体に世紀後半に盛んに書かれた短編小説というジャンルを、正統な文学ジャンルへ格上げすることに貢献したのだと言っていい。
与えられた条件ないし制限の中でベストを尽くすことで、その制限そのものを美学に転化させることができたという点に、モーパッサンの才能を認めたいと思う。


昨日は夏。今はすでに秋。
新しい日々が、また始まります。