えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『ブヴァールとペキュシェ』/ミレーヌ・ファルメール「悪魔のような私の天使」

『ブヴァールとペキュシェ』表紙

ギュスターヴ・フローベールブヴァールとペキュシェ』、菅谷憲興訳、作品社、2019年

 マラルメは「世界は一冊の書物に書かれるために存在している」と述べた。そのことの意味は、この世界に「意味」をあらしめるのはただ人間の言葉だけであるということだ。人間がいなければ、そして言葉が存在しなければ、世界を意義づけることはできない。言い換えれば、世界を「記述」することこそが人間にとって至上の使命であり、その使命を我が身に担う者が、真に「詩人」の名に値する者なのである。

 大言壮語? いかにもそうだろう。誇大妄想? もちろん、そいう見方もある。だが、我々が人間としてせっせと言葉を吐き続ける生き物である限りにおいて、このマラルメの言葉の内には常に幾ばくかの真実があり、それが我々を魅了し続けるというのもまた事実ではないだろうか。

 『ブヴァールとペキュシェ』について考える時、私にはこのマラルメの言葉が思い出され、フロベールマラルメという二人の作家がどこかで繋がっているように思えてならない。1,500冊を超えるを書物を渉猟した果てに、フロベールはこの一冊の本の中に人類の「知」を丸ごと詰め込もうとした。いわば「人間」を総決算するために。

 マラルメは詩人として実現不可能な「夢」を思い描き、現実にはそのわずかな断片を提示するだけでよしとしたが、小説家であるフロベールは「書物」の実現に正面から挑み、苦闘の末に力尽きて斃れた。マラルメはあくまで理想を語り、「書物」という一大プロジェクトに詩人たちが総動員で取り組んでいるという物語を美しく語った。フロベールは自分の世界を皮肉と諷刺で塗りこめることで、人間の愚かさと哀れさを嘲笑しつつも、幾ばくかの苦い同情を禁じ得なかった。

 いずれにしてもこの二人の作家は言葉によって人間は何をなしうるかという問いに挑んだのであり、その彼らの挑戦によって、我々の実存の可能性は幾らかなりと押し広げられることになったのだと言えるだろう。

 極論すれば、フロベールは『ブヴァールとペキュシェ』を書くために生まれてきたのであり、彼の人生はこの一冊の書物の実現を目指す長い道のりだった。そのように言いたくなるくらいに、この作品はフロベールの「本質」とも言うべきものを表しているように思える。描写の美しさであれば『ボヴァリー夫人』こそが宝庫であり、構成の精緻さという点では『感情教育』に勝るものはないだろう。だが、『ブヴァールとペキュシェ』には作者の血肉化した信念とでも呼ぶべきものが脈打っている。だから読むたびに、ここにこそ真の作者が息づいているという思いに打たれるのである。

  実はこのたび、『図書新聞』第3427号(2019年12月14日)に本書の書評を掲載して頂いた。せっかくなので、その内の1段落を引用しておきます。

 この小説を読んでいると、十九世紀が「知」に取り憑かれた時代であったことをつくづく思い知らされる。自然科学や人文科学が各方面に発展して多くの発明・発見がなされ、無数の専門書が著され、大規模な百科事典が編纂される一方、一般大衆は新聞や啓蒙書を通して貪欲に知識を吸収した。ブヴァールとペキュシェは進歩と発展に魅了された人類の象徴だと言えよう。しかしあらゆる試みに失敗する彼らは諷刺画なのであって、そこにフローベールの苦いアイロニーがたっぷり盛られているのも疑いない。いかに科学が進展しても、理論と実践は食い違い、偶然の作用は避けがたく、あまつさえ理論同士が矛盾しあうのであれば、どうして真理を手にすることができるだろうか。好奇心に駆られてさ迷いながら決して真実の泉には到達できない、そんな「人間」の戯画たる中年男たちの悪戦苦闘はなんとも滑稽であり、本作は抱腹必至の喜劇という一面を備えている。と同時に、刊行から百四十年近くを経て、現代人はフローベールの諷刺から逃れられたのかといえば、なかなかそうとも言い難い。ブヴァールとペキュシェは永遠に我々のグロテスクな写し絵であるのかもしれず、だとすればおちおち笑ってばかりもいられない。

  「19世紀レアリスムの大家が遺した問題作」が、新訳により多くの人に読まれることを願いつつ。

 

 Mylène Farmer ミレーヌ・ファルメール、前回のライヴは2013年のタイムレス・ツアー。その時のクリップ。"Diabolique mon ange"「悪魔のような私の天使」は、2010年のアルバム Bleu noir 『ブルー・ブラック』所収。訳してはみるが、正直、よく分かりません。

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Flik flak

Diabolique est mon ange

Tic tac

Plus rien ne nous dérange

La claque

Bien contre lui et tangue

Tic tac

On s’est aimé à s’y méprendre

 

Flik flak

Diabolique est mon ange

Tic tac

Plus rien ne me dérange

La claque

Suis contre lui et tangue

Et là

S’agenouiller et puis s’éprendre…

("Diablique mon ange")

 

フリック フラック

私の天使は悪魔のよう

ティク タク

もう何も私たちを邪魔しない

平手打ち

彼に反して 体が揺れる

ティク タク

愛しあって 騙された

 

フリック フラック

私の天使は悪魔のよう

ティク タク

もう何も私を邪魔しない

平手打ち

彼に反して 体が揺れる

そこで

膝をつき、そして好きになる……

(「悪魔のような私の天使」)

『カルメン/タマンゴ』/ミレーヌ・ファルメール「私は崩れる」

『カルメン/タマンゴ』表紙

 メリメ『カルメン/タマンゴ』、工藤庸子訳、光文社古典新訳文庫、2019年

カルメン』については昔にも何か書いたことがあるなあ、と思い出して読み返すと、2010年の記事だった。

カルメン - えとるた日記

 『カルメン』は自由の象徴だという読みはまあ常識的なものだと思うが、しかしまあロマンチックなことを書いていたものだと気恥ずかしくもある。

 それはともかく、この9年の間に日本で大きく変わったことが確かにあり、それはドメスティック・ヴァイオレンスについての認識の普及だ。率直に言って、今回の再読で私が思ったことの第一は、ドン・ホセは今なら「ストーカー」と認定されるに違いないということである。

 ドン・ホセはカルメンに一目ぼれしたが最後、彼女のために身を持ち崩し、殺人を犯し、密輸人から果ては盗賊へと身を落とす。カルメンはホセを自らのロム(夫)と認めはするが、何より自由を大事にし束縛を拒む彼女であってみれば、自分がホセだけのものになることを受け入れられるはずはないのである。

- Je t'en prie, lui dis-je, sois raisonnable. Ecoute-moi ! tout le passé est oublié. Pourtant, tu le sais, c'est toi qui m'as perdu ; c'est pour toi que je suis devenu un voleur et un meurtrier. Carmen ! ma Carmen ! laisse-moi te sauver et me sauver avec toi.

(Mérimée, Carmen, Livre de poche, 1996, p. 138.)

 

「お願いだ」と、私は彼女に言いました。「道理を分かってくれ。俺の言うことを聞いてくれ! 過去のことは全部忘れる。だがな、おい、お前が俺を破滅させたんだぞ。お前のために俺は泥棒になり、殺人まで犯したんだ。カルメン! 俺のカルメン! 俺にお前を助けさせてくれ。そして、お前と一緒に俺を助けさせてくれ」(拙訳)

 ホセにとって、カルメンは自分のすべてを犠牲にした存在であり、その彼女を失うことは、自己を失うことにも等しい。だから彼にはカルメンを手放すことができない。もし彼女が言うことを聞かないなら、彼女を殺すしかない。それがホセの側の論理であるが、その論理がこの21世紀に一般的に受け入れられるとは言えないだろう。ホセが「俺のカルメン」と所有形容詞をつけてその名を呼び、「俺にお前を助けさせてくれ」と言うところに、カルメンを自分の所有物と見なす思考がはっきりと表れているが、現代においてその見方はあまりに身勝手で独善的なものだと映るのではないか。

 だとすれば、現代人の目にカルメンはどう映るのか? 「魔性すぎる女」? いや、カルメンを「ファム・ファタル(宿命の女)」といった文学史的用語で語るのは、もはや時代錯誤と言うべきではないか、と今の私は思うのだ。

 カルメンは自分の人生を誰に指図されるでもなく自分で決める女性である。今の私たちは「ただそれだけである」と言うべきかもしれない。メリメの時代には彼女のような存在は特殊かつ例外的であり、恐らくは作者自身でさえ、そのような女性の生き方を完全に肯定してはいなかっただろう。作家はあくまで自由を尊ぶ放浪の民、ジプシーの象徴としてカルメンを造形しており、その限りで彼女はいわば民俗学的好奇心と観察の対象であった。『カルメン』は徹頭徹尾「ジプシー論」として書かれており、そのことはカルメンの死、そしてドン・ホセの最後の台詞、

罪があるのはカーレ〔ジプシーの男女〕の連中です。あんなふうに、女を育ててしまったのですから。(工藤庸子訳、172頁)

 の直後に、第4章のジプシー概論が連続していることに明らかではないか。カルメンカルメンたるゆえんは彼女がジプシーであることに求められるのであり、だからこそ語り手はそのジプシーとはいかなる者かを、語らずにいられないのである。

 ドン・ホセが今や現代のストーカーに過ぎないとすれば、カルメンもまた独立独歩する数多の現代女性の一人なのではないか。『カルメン』はもはやエキゾチスムあふれる「異邦の女」についてのファンタジーではなく、我々にとってごく身近で、それゆえに一層に切実な物語になったのではないか。 作者の個人的思想が古びた後に残ったのは、いわば原型としての男女関係の一つの普遍的な様態ではないか。

 以上が、9年ぶりの再読で私の考えたことのあらましだ。

 最後になるが、上記のホセの台詞にはあえて拙訳を付した。以下に改めて翻訳を引用する。

「お願いだ」と私は言いました、「理屈をわかってくれ。おれの話を聞いてくれ! おきてしまったことは全部水に流す。だけどなあ、わかっているだろ、おれの一生を台なしにしたのはおまえなんだ。おまえのために、おれは泥棒になり、人殺しもやった。カルメン! 私のカルメン! あんたの命を助けさせてくれ、あんたといっしょに私の身も救えるようにしてくれ」 

(工藤庸子訳、170頁)

 細部をつかまえて揚げ足を取るような真似はしたくないのだけれど、この決定的な場面でホセが「私のカルメン」というのは、私にはどうしても納得できかねるし、「あんた」という言葉はもう死語ではないだろうか。その点だけが、ごく個人的に、今回の新訳で惜しまれることだった。

 

 Mylène Farmer ミレーヌ・ファルメールが2019年に行ったライヴのクリップ。曲は2010年のアルバム Bleu noir『ブルー・ブラック』所収の "M'effondre"「私は崩れる」。すべてを放擲してでも観に行くべきだったのだと後悔しつつ。

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Je... fais tout un peu

Rien… n’est comme je veux

Me dissous un peu

Me divise en deux

Mais là

 

M’effondre

M’effondre

 

Tout vole en éclat

Mes sens et puis mon choix

Pas d’existence

Mais vivre ma transparence

Mais là

 

M’effondre

M’effondre

M’effondre

M’effondre

 

Jusque là tout va

Jusque là tout va bien

(M'effondre)

 

私は……すべてを少しだけする

何も……思うようにいかない

少しだけ溶ける

二つに分裂する

でもそこで

 

私は崩れる

私は崩れる

 

すべては飛び散る

私の感覚、私の選択

存在はない

でも私の透明を生きる

でもそこで

 

私は崩れる

私は崩れる

私は崩れる

私は崩れる

 

ここまではすべて順調

ここまではすべてが順調

(「私は崩れる」)

学習のツボ/「羊飼いの娘がいました」

「羊飼いの娘がいました」挿絵

 ご縁あって、

第27回 大人も使える「子どもの歌」(1)(中級) | 仏検のAPEF/公益財団法人フランス語教育振興協会

第28回 大人も使える「子どもの歌」(2)(中級) | 仏検のAPEF/公益財団法人フランス語教育振興協会

を書かせていただく。タイトル通り「子どもの歌」は大人の外国語学習にも有効ですよという内容の記事。少しでも誰かのお役に立てば嬉しいです。

(上の絵はそこでも紹介した Chansons de France pour les petits Français 『小さなフランス人のためのフランスの歌』より。Source Gallica.bnf.fr / BnF

 ところで、その原稿の最後に、「一見無害な「子どもの歌」の背後に、大人の世界が透けて見えることもあるでしょう」と記した。

 実際、そういう話はいろいろあるわけで、たとえば「澄んだ泉へ」"A la claire fontaine" の「バラの花束」(あるいは「バラのつぼみ」)とは何の象徴か、とか、「月明かりの下で」"Au clair de la lune" の3・4番の歌詞はなんだか怪しい、とかはとても有名なものである。

 あるいはまた、一見無害どころか、そもそもどう見てもひどいのではないかと思われる歌もある。「羊飼いの娘がいました」"Il était une bergère" などはその筆頭に挙がるだろう。

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 はなはだ無粋ではあるが、繰り返しを省略して、意味だけを訳出するとこうなる。

Il était une bergère
Qui gardait ses moutons
Elle fit un fromage
Du lait de ses moutons
Le chat qui la regarde
D'un petit air fripon
Si tu y mets la patte
Tu auras du bâton
Il n'y mit pas la patte
Il y mit le menton
La bergère en colère
Tua son p'tit chaton
Elle fut à confesse
Pour demander pardon
Mon père je m'accuse
D'avoir tué mon chaton
Ma fille pour pénitence
Nous nous embrasserons
La peine étant si douce
Nous recommencerons

(Il était une bergère)

 

羊飼いの娘がいました

羊を見張っていました

彼女はチーズを作りました

羊のミルクで作りました

あんたが脚を出したら

杖でぶったたくからね

彼女を見ていた猫は

いたずらっ子な様子で

脚は出さなかったけど

顎を出しました

羊飼いの娘は怒って

子猫を殺しました

彼女は神父のところへ行き

許しを乞い願いました

神父さま、罪を認めます

子猫を殺してしまいました

わが娘よ、改悛のために

キスしあいましょう

改悛っていいものね

もう一度繰り返しましょう

(「羊飼いの娘がいました」)

  ずいぶん無茶苦茶な歌詞だ。猫を殺しちゃうのもひどいが、最後の落ちにもけっこう驚かされる。子どもの世界はフリーダムだということなのか。

 動画に付されたコメントを見ると、フランス人の大人も怒ったりしているのである。

 ところが、話はそれだけで終わらない。そこでもちゃんとコメントしている人がいるけれども、フランス語の辞書を引くと "laisser aller le chat au fromage"「猫をチーズの方へ行かせる」という表現は、古くは「(女が男に)体を許す」という意味だったと書いてあるではありませんか。

 なるほど、ふむふむ。すると一体何がどうなるのだろうか?

 というような話は、さすがあちらに記すのもはばかられたので、ここにこっそり(なのかしら)記してみた次第です。

『ニュクスの角灯』第6巻/セルジュ・ゲンズブール「枯葉によせて」

『ニュクスの角灯』第6巻表紙

 高浜寛『ニュクスの角灯』第6巻、リイド社、2019年

 この『ニュクスの角灯(ランタン)』は、明治11年1878年に始まる。舞台は長崎。骨董屋「蛮」に奉公に出た美世は、パリ万博で西洋の品を買い付けて帰国した青年、百年と出会う。美世は商売の基礎を学びながら、きらびやかな品々に触れることで、海の向こうの異国の世界に思いを馳せるようになる……。

 という感じで物語は始まっていくのだけれど、モモこと百年が、今度は日本の品をパリに売りに行くと決めるところから、話は長崎とパリとで同時に進行してゆくようになる。モモには実は若い時に別れた恋人ジュディットがいて、今では彼女は高級娼婦、そして結核に侵されている、という辺りはいささか『椿姫』的でもある。

 それはともかく、4巻において、モモと友人のヴィクトワールは西洋で売れる新しい商品はないかと考え、浮世絵に目をつける。では誰がそれを買ってくれるか、という時に名前が挙がるのが、なんと、と言うべきか、当然、と言うべきか分からないが、とにかくエドモン・ド・ゴンクールなのだ。そこで彼らはゴンクールに出会うべく、「ロンビギュ劇場」で『居酒屋』の初日に狙いを定めるのである!

(1879年)一月十八日 土曜日

 『居酒屋』の初日。

 作品に共感し、やたらに拍手する観客のなかで、陰にこもった反感はおもてに出てこようとしない。歳月は何と世代を変化させてしまったことだろう。弟のことを思って寂しくなってしまったので、廊下ででくわしたラフォンテーヌに、思わず、「これは『アンリエット・マレシャル』の時の観客とは違うねえ」といわないではいられなかった。あらゆることが受け入れられ、喝采され、そしてただ、最終場面で、おそるおそるの気の弱い口笛が二、三回あった。それだけが、圧倒的な熱狂のなかでの唯一の抗議であった。

 ゾラの取巻き連中の打ち明けたところでは、滑稽な箇所をいくつかビュスナックまかせにしたほかは、ゾラ自身が全部脚本を書いたそうだ。してみれば、彼こそがまさしくこの芝居の作者だ。そしてまたもや演劇上の革命を試みようとはしなかったらしい。というのは、――労働者の環境そのものはすでにこれまで何度も芝居になっているのだから、勘定に加えないとして――脚本はタンプル大通りの古めかしいトリックや長広舌、センチメンタルなきまり文句で出来上がっているからだ。

(『ゴンクールの日記』(下)、斎藤一郎編訳、岩波文庫、2010年、93-94頁)

 漫画と直接は関係ない引用がつい長くなった。つまりこの1879年1月18日のアンビギュ座が漫画の舞台となり、そこにゴンクールが登場してくるのである。

 いやもう、ただ単にそのことに感動したというだけの話なのではある。そして5巻の末尾で、モモたちは、オートイユのゴンクール宅を訪問する。そこで待ち受けるのは、「こちら右からアニエス ギュスターヴ アルフォンス」(208頁)で、なんとフロベールとドーデまでがゴンクールと一緒に浮世絵を見て大喜びをするのである(アニエスが誰なのか分からない。誰だろう)。引き続き6巻にも場面は続き、春画の説明に感心したりしている。

  うーん、夢とは麗しいものだ。フロベールもドーデも恐らく浮世絵にさほど関心はなかっただろう、などということはもちろん言うも野暮な話で、この三人が仲良く講釈に聞き入っている場面はなんとも微笑ましい。

 とまあ、ごく私的な感慨はともかくとして、『ニュクスの角灯』は、このたび6巻で綺麗に完結。物語をきっちりまとめあげる、作者の技量には実に堂々としたものがある。

 思わぬところで出くわしたベル・エポックのパリの情景に、すっかり夢見心地にさせてもらいました。

 

 秋の歌の王道中の王道。セルジュ・ゲンズブール Serge Gainsbourg の「枯葉によせて」"La Chanson de Prévert" (1962)。RTSのアルシーヴ、1962年の映像。

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Et chaque fois les feuilles mortes

Te rappellent à mon souvenir

Jour après jour

Les amours mortes

N'en finissent pas de mourir

("La Chanson de Prévert")

 

そして枯葉がいつも僕の記憶に

君を蘇らせる

来る日も来る日も

過ぎ去った恋が

死に絶えてしまうことはない

(「枯葉によせて」)

BD『年上のひと』/クリストフ・マエ「秋」

『年上のひと』表紙

 バスティアン・ヴィヴェス『年上のひと』、原正人訳、リイド社、2019年

BD『ポリーナ』/ザジ「愛の前に」 - えとるた日記

にも書いたけれど、この人はとにかく絵が上手い。デッサン力が不動の安定感を保っており、省略を利かせた描写はとても洗練されている。また、彼のカット割りはとても映画的だ。

 『年上のひと』の主人公はアントワーヌ、13歳、三歳下の弟がいる。家族は夏のヴァカンスに別荘にやって来るが、そこで、16歳の少女エレーヌと一週間、一緒に過ごすことになる。二人は次第に仲良くなってゆき、その過程で年上のエレーヌは、飲酒や夜遊びにはじまり、性的な事柄にいたるまで、アントワーヌを青年の世界に導いていく……。

 これはいわゆる、一夏の甘くも苦い初恋の物語。いやもう、十代でこんなのを読んだら悶絶してただろうなあ、と、そいういうお話であった。ごく個人的には、『ポリーナ』で世界がぐっと広がったのに比べると、やや物足りなく思うところがないでもない。しかしながら、語りの技術とセンスの良さには一層磨きがかかったかのようで、まったく惚れ惚れするような出来栄えだと思う。ここには、リアリティとファンタスムの絶妙にして強固な結合があり、そのあまりの自然さにすべてを説得されてしまう。

 バスティアン・ヴィヴェス、まったく怖い物なしの才能だ。

 

 秋の歌をもう一曲。クリストフ・マエ Chrsitophe Maé の「秋」"L'Automne"は、アルバム『幸福がほしい』 Je veux du bonheur (2013) に収録。動画はないので音声のみ。

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Quand vient la saison de l'automne

Tout me rappelle que je l'aime encore

Alors je laisse mon amour à l'automne

Et dans ses dentelles tous mes remords

("L'Automne")

 

秋という季節がやって来る時

すべてが思い出させる 僕がまだ彼女を愛していることを

それで 僕は自分の恋を秋に置き去りにする

そして そのレースの中に 僕の後悔のすべてを

(「秋」) 

『アニメーション、折りにふれて』/テテ「秋がやってきたから」

高畑勲『アニメーション、折りにふれて』

 ミッシェル・オスロの話の続き。

 高畑勲に私がもっとも感謝していることは、ミッシェル・オスロの作品を日本へ紹介してくれたことだ。

 高畑勲『アニメーション、折りにふれて』、岩波現代文庫、2019年

に収録されている「『キリクの魔女』の世界を語る」という2003年のインタヴューの中で、この作品について語られているのを読んで、なるほどと思うことが多かった。

 ここで高畑は、「思いやり」の映画と「思い入れ」の映画という二分法を使って、アニメ映画を語っている。

 観客が能動的に、想像力を働かせて「思いやる」必要があるタイプの映画では、観客は主人公を待ち受けている危険が分かっていて、「ハラハラ」しながらその行く末を見守る。それに対して、観客を主人公と一体化させ、「思い入れ」させるタイプの映画では、観客は、何が起こるか分からない展開を「ドキドキ」しながら待ち受ける。巻き込まれた観客は受け身のままで、ものを考えなくても済む。

 高畑自身は一貫して、見る側の思考する余地を残す「思いやり」タイプの映画を心がけてきたとして、彼は続けて述べている。

  日本のアニメーションは、娯楽としては超一流になり、見終わって「よかった!」という快楽を与えるけれども、現実を生きていくうえでは、それはなんの力も持っていないと思うんですね。役に立っていないと思う。いま流行りの「癒し」とかいうものにしかならない。現実を生きていくときに、もしもドキドキしながら進んでいても、それでは結局足が前へ出なくなって進めなくなる。だって、次に何が出てくるか何も分かっていないわけだから。現実に生きていくためには、自分で考えなくちゃいけない。たとえばこの穴はどうなっているのだろうか、とか。もし分からなければキリクのように「どうして?」と聞いたり探求したりせざるを得ない。そして今度はどのようにやらなくちゃいけないかを考えて、そして行動する。それが現実を打開する方向ですよね。生きていく方法です。

高畑勲『アニメーション、折りにふれて』、岩波現代文庫、2019年、268頁

  とても誠実で、とても真面目な人の言葉だ。真面目すぎると思わずにはいられないくらいに。ここには宮崎駿に対する批判がはっきりと窺われるという点でも、興味深い言葉だと思う。もう一か所、引用。

 ところで今、現実世界は複雑怪奇なんて言いましたが、アニメの作品世界のほうもやたら複雑怪奇なものになっているんです。リアリティを実感させるための目くらましですね。それに対してこの『キリク』は見事に単純です。しかし、ファンタジーでもあるにもかかわらず、現実を生きていくうえでの、イメージトレーニングになるように作ってある。キリクは小さくて力もない。走るのが速いだけ。それでできることを探すんです。分からないことがあれば聞くし、「なぜ、どうして?」というのがこの作品の惹句になっていますが、それだけじゃなくて、どうしていくかということをいつも考えている。そうやって一歩一歩やっているから、僕としては見終わったあと、非常にすっきりした映画だったんです。本当の喜びがあった。

(同前、269-270頁) 

  いかにも、『キリクと魔女』の素晴らしさは、作品に投影された監督の人間観、人生観の、深みと確かさに多くを負っているだろう。大げさな言葉かもしれないが、そこには確かに叡智がある。

 そして、ミッシェル・オスロ監督は、まさしく高畑勲にこそ見いだされるべきだったのだということを、このインタヴューを読んでしみじみと納得した。その幸運な出会いを、改めて有難いことだと思ったことだった。

 

 この十年、秋になると一度は聴く曲。テテ Tété の「秋がやってきたから」"A la faveur de l'automne"は、2003年の曲。2013年の演奏。

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A la faveur de l'automne

Revient cette douce mélancolie

Un, deux, trois, quatre

Un peu comme on fredonne

De vieilles mélodies

 

A la faveur de l'autome

Tu redonnes

A ma mélancolie

Ses couleurs de super-scopitone

A la faveur de l'automne

(A la faveur de l'automne)

 

秋がやってきたから

あの甘いメランコリーが戻ってくる

1、2、3、4と

ハミングするように

古びたメロディーを

 

秋がやってきたから

君がまた与えてくれる

僕のメランコリーに

古びたその色合いを

秋がやってきたから

(秋がやってきたから)

『ディリリとパリの時間旅行』

『ディリリとパリの時間旅行』

『ディリリとパリの時間旅行』、ミッシェル・オスロ監督、2018年

 待望のオスロ監督の新作を映画館にて鑑賞、感無量。

 時は1900年、万国博覧会の「人間動物園」に出演していた、ニューカレドニアからやってきたカナカ族の少女ディリリは、なんと故国で(当時、流罪中だった)ルイーズ・ミシェルに習っていたのでフランス語を話せる。彼女は、三輪車の配達人オレルとともに、少女たちを誘拐する「男性支配団」の謎の解明に乗り出す……。

 ディリリとオレルは三輪車でパリの町を駆け巡るのだが、そこで凱旋門ヴァンドーム広場、ルーヴル、ノートル=ダム、といったモニュメントを次々と巡ってゆく。監督が4年かけて撮り貯めた写真に基づくというその背景画が、とにかく美しくて逐一驚かされっぱなし、それが本作の第一の見どころだ。「夢のような」とか「目を瞠る」とかいう言葉は、すり切れた紋切型でしかないけれど、本当に文字通りに茫然と見惚れるばかりの画面が、次から次にと現われてきて、休む暇もないほどだ。

 そして二人は行く先々で、当時存命だった著名人に出会ってゆくのだが、これが凄い。ルナンに始まり、ピカソマチスルノワール、モネ、マリー・キュリーコレット、サティ、トゥールーズロートレック、まだ無名なプルーストロダンカミーユ・クローデルサラ・ベルナール……、と、これだけでもすでに錚々たる面々だが、それどころの話ではなくて、その数、総勢100名にもなるというから大変だ(気がつかなかった人物が色々いて悔しい)。いや、もう、これは19世紀、ベル・エポック期のフランスに関心を持っている人間には、まさしく「夢」そのもの、興奮と悦楽に満ち満ちた、奇跡のような時間が流れつづける、そういう稀有な映画である。

 もっとも、ミッシェル・オスロが素晴らしいのは、決してその絵だけではない。『キリクと魔女』、『アズールとアスマール』から『夜のとばりの物語』まで、この監督は常に、物語を勧善懲悪に落とし込むことがなかった。善悪二元論を解体し、異なる解決の道がありうると示すこと。一方的な見方から解放された先に、他者に対する理解と共感が存在すること。そうしたことを、説教臭くなることを回避しながら、なおかつ雄弁に語ってみせることができたところに、この監督の類まれな誠実さと、子どもに向けたアニメーション製作者としての揺るぎない信念が存在していた。

 実のところ、その観点からすると、本作はどうなのだろうかという一抹の思いがないではない。確かにこの作品でも、監督は敵を「退治」する場面によって物語を終わらせはしなかった。また、ルブフという人物が変化する様には、人間を一元的に捉えない監督の思想がはっきりと投影されている。それでも、これまでの作品に比べると、いささか物足りない思いが残るように感じたのではある。 

 だが、そんな繰り言は、あの圧倒的な陶酔感に比べれば何ほどの意義も持ちはしない。まったくもって、このあまりにも美しい夢に、いつまでも浸っていたいと思わずにはいられない。

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