えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

かつて

Jadis, 1883
今日はあんまり脈絡のない選択。ジル・ブラース紙10月30日。
実は初出はゴーロワ紙1880年9月13日で、この時のタイトルは
Conseils d'une grand-mère で、春陽堂全集2巻はこちらを
とって「祖母の忠告」(95-98ページ)となっている。ちょっとややこしい。
生前の単行本には収録されなかった一話。モーパッサンはせっせと新聞に短編を送っておいて
いざ単行本にする時にはけっこう厳しく選択している。この作品のように、物語に明確な筋(行為)の
ないものは、概して選択から漏れることになる。そのへんに作者の思い描く「短編像」が
窺えるわけでもある。本作の主題は、18世紀の貴族社会では雅びな恋愛がもてはやされたけれど
今日のブルジョア社会では、自然に反した「貞操」の概念にとりつかれて「浮気」は駄目だというのは
馬鹿馬鹿しくてお話にならないわ、と孫娘に説教するお婆さんの思想である。

「あんた達みたいな今時の若い娘は、結婚をなんだと思っているんだい?」
 ベルトは答えた。
「でも結婚は神聖なものよ、おばあちゃん!」
 祖母は、まだ雅びだった偉大な時代に生まれた女性としての心を震えさせた。
「神聖なのは恋愛のほうだよ」と彼女は言った。「娘や、三世代を生きて、男と女についてうんとよく知っている老婆の言うことをお聞きだよ。結婚と恋愛にはなんの関係もありゃしないのさ。結婚するのは家族を築くため、家族を作るのは社会を構成するためだよ。社会ってのは結婚なしには済まないからね。(中略)人は一度しか結婚しないよ、娘や、だって世間がそう求めるからね。でも人は人生に二十ぺんも愛することができるのさ、だって自然がそんな風に私たちを作ったんだから。結婚てのは法律さ、そうだろう、恋愛っていうのは、それは本能でね、ある時は右、ある時は左にと私たちを追いたてるのさ。人が法を作ったのは、本能を押さえつけるため、そうしなきゃならなかったんだね。でも本能はいつでも一番強いもので、あんまりそれに反抗しちゃいけないんだよ。だってそれが神様の思し召しだけれど、法律ときたら人間のものだからさ。」(プレイヤッド1巻183ページ)


「自然」に反することはぜんぶ間違っている、という意味においてモーパッサンはすぐれて「自然主義者」だと
言える。でもそれは普通の意味での「自然主義」とはだいぶ違う、モーパッサン特有の思想だ。
ブルジョア社会批判はフロベールの伝統を受け継いだもので、農民やプチブルを描いてすぐれた
技量を発揮したモーパッサン自身が、実は基本的に(精神的)貴族主義を貫いていた点は
興味深い。妬み屋はそれをしてスノップと笑った。実際、そういう面はなきにしもあらず。
18世紀の貴族社会、ヴォルテールやディドロの機知と諷刺は、失われてしまった良きフランスの
象徴として、繰り返し時評文などに描かれる。
ところで孫娘ベルトのほうは、典型的なロマンチック少女として描かれている。

「黙って、おばあさまったら、お願いだから。」
 そして、跪いて目に涙を浮かべながら、現代詩人たちの言うところの偉大なる愛情、永遠の唯一の愛情を、彼女は天に求めた。一方で祖母は、彼女の額に口づけを与えながら、雅びな哲学者達が十八世紀に散りばめたあの魅惑的で健康的な理性に浸ったままに、囁くのだった。
「注意をしや、かわいそうなお嬢さん。そんな馬鹿げたことを信じていたら、お前は不幸になってしまうよ。」(185ページ)


初出では「ロマンチックな詩人」となっていたのが「現代の」に変えられている点が興味深い。
83年の時点ではもうロマン派をたたく必要はなかったのかもしれない。でも「現代の」と置き換えて
済ませてしまえるなら、詩人なんて変わらないもんだ、という作者の皮肉が読み取れる。
いずれにせよ「ロマンチック」なものに対するからかいは、モーパッサンとは切っても切れない。
レアリスム(現実主義)とは、常に「反ロマン主義」「反理想主義」と対になるものだから。