えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『わたしたちの心』

『わたしたちの心』

 モーパッサン『わたしたちの心』、笠間直穂子訳、岩波文庫、2019年

 岩波文庫からモーパッサンが新たに出るなんて、これを事件と呼ばずに何を事件と呼ぼうか。

 そもそも驚きなのは、この作品がかつて岩波文庫に入っていなかったという事実だ。本作は、1890年に発表されたモーパッサンの長編第6作にして最後のものだが、第5作『死の如く強し』は、杉捷夫訳で1950年に出ている(私が所有するのは1992年の18刷なので、多少は売れている。もっとも今は品切れて久しい)。戦後、モーパッサンの翻訳が山のように出た時期にも入らなかったのは、あるいは、青柳瑞穂や新庄嘉章や河盛好蔵がこの作品を訳す気にならなかったからなのか。それはともかく、ここに新訳として岩波文庫入りしたのは、たいへん喜ばしいことだ。めでたい。

 本作については訳者の「あとがき」に要点がぜんぶ書かれているので、私が特別に付け加えられることはさして見当たらない(いや本当に)。以下、蛇足ではあるが思うところを記しておきたい。

 本作は「当時の流行にのった社交界小説・心理小説、モーパッサンにしては覇気に欠ける展開」(318頁)ゆえに、いわば「らしさ」に乏しく、それもあってか「日本ではほぼ忘れられている」作品であるのは確かだろう(フランス人でも多くは知らないと思う)。まず、このことをどう説明しようか。

 1880年に「脂肪の塊」で小説家としてデビューしたモーパッサンは、矢継ぎ早に短編小説を書きまくることでたちまち名を挙げた。1883年『女の一生』の成功で早くも若き大家と称賛され、1885年『ベラミ』でその地位を不動のものとした。ここまで華々しい成功の事例は他に類を見ないほどのものだ。

 その前半期の作品においては、精神よりも身体、感情よりも感覚、知性よりも本能に焦点を当てることで、赤裸々な人間の姿を描き出す、むしろ暴き出してみせるところに何より特徴があった。人間も動物の一種であることの暴露は、社会に横行する人々の偽善的姿勢への批判としてインパクトがあったし、誰しもその諷刺画を他人事と切り捨てられない普遍性がそこにはあった。さらに言えば、普仏戦争から10年、復興の後に繁栄を迎え、後にベルエポックとして振り返られることになる社会にあって、まるで忌わしい過去(そこには悲惨があり汚辱があった)の一切を忘れたかに振る舞う人々の秘めた良心に、モーパッサンの作品は訴えかけるものを持っていたと言えるだろう。彼は実に時宜にかなって、人々の痛いところを突いたのだと、私は思っている。

 人間の内に潜む本能や欲望を赤裸々に描きだすということは、いわば人間を単純化して描くことでもある。その時、モーパッサンが作品に描いたのは、もっぱら都会の小役人や小ブルジョア、農民、娼婦たちであった。社会の下層または周縁において、日々の生活に汲々と生きる人々が、そのような単純化に向いていたのだと、とりあえず言っておこう。それはモーパッサン自身が実人生において間近に接しえた人たちだったという事実も、もちろん存在している。

 モーパッサンは人間の内にある動物性に焦点を当てたわけだが、問題は、単純なものは単純なものでしかない、という厳然たる事実にある。はじめはどれほどインパクトがあろうとも、物事には限度があり、繰り返せば飽きられる。いや書いている当人こそが真っ先に飽きるだろう。もっと複雑なもの、微細なもの、曖昧なもの。ごく自然な成り行きから、モーパッサンはより洗練されたものを求めるようになってゆくのである。

 付け加えておけば、誤解のもとはここにある。モーパッサンが最初に単純なものを描いたから、人々は彼は単純な人間だと思った。彼が複雑なものを求めるようになった時、人々はそれを成り上がりものの気取りと受け取ったのだ。彼がそもそもどういう人間だったのかを、同時代の人間は誰も疑ってみようとはしなかった(し、後から受容した日本人も同様だった)。

 閑話休題。では、洗練されたものはどこにあるのか? 微細な感情のひだ、繊細な感性、解きほぐしがたい心の綾模様、言わば、動物性から遠い、より人間的なものはどこに存在するのか? 19世紀末の社会にあっては、答は上流社会にしかなかった。作家として成功を収めたモーパッサン社交界に受け入れられるようになったという境遇の変化も大きく影響している。彼は社交界にこそ小説の素材が溢れていることを発見した。さらには、まだ他の同業者たちが気づいていない「新しいもの」が存在していると考えるに至ったのだ。その新しいもの、時代の最先端に見られる現代人の心の有り様。それを捉え、どのようなものかを分析し、読者の目に見えるものとして提示すること。そこにこそ、人間観察家たる作家の果たすべき仕事がある。『わたしたちの心』Notre cœur というタイトルは、そのような作者の自負をはっきりと示している。

 では、モーパッサンの見た現代人の心性とはどのようなものだったのか。一言で表せばデカダンスということになろう。社会が爛熟した果ての倒錯と退廃が人々の心を蝕んでいる、というのが作者の診断である。その意味でこの小説はいわゆる「世紀末」文学に位置づけられるし、懐かしの国書刊行会「フランス世紀末文学叢書」に加わってもおかしくないはずのものだ。

 主人公アンドレ・マリオルはディレッタントな趣味人で、彫刻や音楽をたしなむが、しかし大成することがないままに中年を迎えている。社交界でもてはやされつつも、内心で自分は失敗した人間だと思っている。いわば彼は不能性を抱えているのであり、芸術作品を生み出すことが出来ないということは、男性性の欠如の換喩的表現と見ていいだろう。

 女性主人公はミシェル・ド・ビュルヌ、若い未亡人で、洗練された趣味を持ち、サロンに選りすぐりの芸術家を集め、彼らの欲望を掻き立てるが、誰かに熱をあげることはない。

 どうしてなのだろう? 男たちのせいなのか、それとも自分の? 彼らがこちらの期待するものを欠いているのか、それとも人を愛するための何かが自分に欠けているのか。人を好きになるのは、あるとき本当に自分のために創られたと思える存在に出会うからなのか、それとも生まれつき人を好きになる能力を備えているからなのか。彼女は時おり、ほかの人々は体に腕があるのと同様に心にも腕がついていて、その腕を優しく伸ばして引き寄せたり、抱きとめたり、抱きしめたりするのに、自分の心には腕がないのだと感じることがあった。自分の心には、目しかついていない。(95頁)

 マリオルはそんな彼女に恋焦がれるようになり、彼女もやがてほだされて彼を恋人にする。彼は彼女に愛されるのだが、しかし自分の心が決して満たされないことに苛立つ。愛しているにしては冷静すぎるのではないか、という疑念から逃れられないのである。

 昼も、夜も、彼にとっては苦悶の時間がつづくばかりだった、というのも常にひとつの強迫観念を、頭よりも心に抱きながら生きていたからで、それはすなわち、彼女は自分のものでありつつも自分のものではない、支配されているのに自由であり、捕まっているのに捕まっていない、という考えだった。彼女の周り、彼女のすぐ傍に暮らしてはいても、彼女に到達することはできず、満たされない欲望の数々を心にも体にも抱えながら彼女を愛していた。(179頁)

  上流社交界の女性はその洗練された美において他に類を見ないが、それはとことん人工的な美であり、そこには男を騙すための策略と自己愛しかなく、自然な発露としての情熱的な愛情はもはや存在しない、マリオルはそのように考える。

彼女たちの母親、過ぎ去った世代の母親たちはみな、やはり美しさを補う色気の技を活用してきたとはいえ、何よりもまず自らの肉体そのものがもつ魅惑、たおやかさが放つ自然な力、女体というものが男の心に働きかける抗しがたい引力によって相手を誘おうとしたものだ。しかし今日は、色仕掛けがすべて、作りこむのが主たる手段にして目的になってしまった、というのも彼女たちにとっては、愛嬌を見せつけることでライバルを苛立たせ、いたずらに嫉妬心を掻き立てることが、男を征服することよりもなお優先されるのだから。(217頁)

  男は脆弱になって退廃に沈み、女は倒錯の内にはまり込んで抜け出せない。両者の間に相互理解の道は開かれず、互いに相手を求めながら満たされず、それぞれが孤独の内にもがいている。要約すると身も蓋もないが、以上があらまし、モーパッサンが見た世紀末フランスの上流人の有り様だった。

 この後、マリオルはビュルヌ夫人と別れる決意をして田舎に隠棲する。しばらく鬱々と過ごすが、そこで出会った若く瑞々しい女性エリザベトを女中として雇い、そして愛人とする。ビュルヌ夫人の内に得られなかった自然な情愛と官能を彼女の中に見いだすのである。だが、そこに究極の安らぎがあるのでもなく、欲望が満たされることはない。田舎女の素朴さだけではもはや駄目なのである。

「ああ、この二人を合わせた女、一方の愛情ともう一方の魅力を備えた女がいたなら。どうして夢見るとおりのものは決して見つからず、いつもほぼそれに近いものにしか出会えないんだろう」(286-287頁) 

  そうストレートにぼやかれると阿保らしくもなるが、主人公(つまりは作者)はいたって真面目なのだと考えるよりない。自然から逸脱してしまった人間はもはやそこに帰ることはできず、おろおろと彷徨をつづけるしかない(そう書くとやっぱりルソーっぽいが)。それが現代人の宿命だというのだろうか。少なくともモーパッサン自身はなんらかの答を見いだすことのないままにこの小説を終えているし、その後に小説を書きつづけることもなかったから、彼がここから先、どこに向かうことになったのかをはっきりと知ることは出来ない。

 1889年、モーパッサンは病に苦しみ、逃げ場を求めるかのようにあちこちに放浪するが、決してどこにも落ち着くことはできななかった。そんな状態の中で身を振り絞るようにして言葉を綴り、このなんとも寂しい男と女の姿を描いたのだった。40歳、今から見ればそれはあまりにも早いが、しかし紛れもない「晩年」であった。

 

 さて、この『わたしたちの心』は面白いんですか? そうはっきり聞かれると、正直いささか困る。登場人物の「心理分析」は明瞭であり、作者の明晰さはまったく損なわれていない。ただ、私がこの小説を読んでいて思わずにいられないのは、ここではモーパッサンは真面目過ぎるのではないかということだ。作者は主人公の心情を真剣に取り扱っているので、そこに諷刺的な、批評的距離があまり感じられない。そのことが、どうしても物足りなく思われる。「脂肪の塊」を筆頭に、80年代前半の作品に見られる社会(それは他者ということでもある)に対する批評性は、私が彼の内で評価する最も重要な点と言っていいけれど、作者が同時代の問題を我が事として真面目に取り組む時、それが鳴りを潜めるのはやむをえないことだっただろうか。確かに彼は、マリオルと同様にビュルヌ夫人の内面にも視線を向け、彼女の側からも物事を見ており、両者の視線の交錯とすれ違いから互いが相対化されることとなるので、批評性がまったく欠落しているわけではない。そこにはモーパッサン流のニヒリズムが通底している。だが、そうだとしてもだ。

 言い換えれば、作者が同時代とあまりに密接に同期してしまっている、ということでもある。あらゆる風俗小説がそうであるように、時代を機敏に捉えた小説は時代と共に風化することを免れ得ない。同時代に同じように売れたポール・ブールジェがもはや完全に忘れ去られたように、『死の如く強し』と『わたしたちの心』が、いつしか読まれなくなったのに理由がないわけではないだろう。まことに芸術とは難しいものだ。

 だが、ここで話を終えてしまうのも本意ではないので、最後に、私がこの本で最もよく書けていると思うところを挙げるなら、第2部冒頭のモン=サン=ミシェルの描写ではないかと思う。そこを引用して、ひとまず稿を閉じたい。マリオルはアヴランシュの町から海辺を眺める。

 いま立っている丘陵のふもとから、想像を絶する広大な砂地がつづいて、遠くで海と天空に溶け合っていた。砂地には一本の川がうねうねと走り、そして太陽に照らされた群青の空のもと、点々と散らばった水溜まりが光る水盤となり、まるで地中にあるもうひとつの空に向けて穿たれた穴のように見えた。

 潮は引いたがまだ濡れているこの黄色い砂漠の真ん中、海岸から十二キロから十五キロほどのところに、先の尖った巨大な巌の輪郭、頂上に大聖堂を載せた幻想的なピラミッドが屹立していた。

(略)自然のすべてが、いちどきに、ひとつの場に、偉大さと、力強さと、清らかさと、美しさをたたえて目の前に差し出されている。こうして、視線は森の光景から花崗岩の山の幻、すなわち茫漠とした砂浜にゴシック様式の怪しい姿でそそり立つ砂地の孤独な住人へと行き来するのだった。(81-82頁) 

  訳文は明澄で淀みなく読みやすい。優に半世紀ぶりに生まれた新訳によって、まるでモーパッサンが若返ったかのような印象を覚えた。

 モーパッサンが好きというすべての人には「これを読んでこそ彼の全貌が分かる」と言いたいし、いっそ「本当の姿が分かるんです」と言ってしまいたい。若い時の気負いと気取りを取り払ったときに漏れ聞こえた作家の生の声を、ぜひ耳を澄まして聞き取ってほしい。