モーリス・ルブラン、『八点鐘』、堀口大學 訳、新潮文庫、1981年(26刷)
別に頑なに偕成社を避けているのではまったくなくて、
古書でまとめて買っちゃおうかなあ、と思いつつ、その踏ん切りもつかぬまま、
ずるずる来て、なおさらどうもしようのなくなっている、というだけの話。
どうすればいいというのか。
おもむろに都都逸ふうに(本当か)。
誰がつけたか知らないけれど八点鐘とはいい訳だ。
この度はセルジ・レニーヌ公爵がオルタンス・ダニエルと一緒に事件を解決する連作短編集。
『エクセルシオール』1922年から23年に連載。23年単行本、ラフィットから。挿絵入りらしい。
趣向がうまく、これまたロマンチック。
リュパンの事件解決の方法とはどういうものなのか、
ということも考えてはみたいのだけれど、どうなんだろうか。
「直観と理性」(41頁)が大切である、というのは確かで、
リュパンはけっこう、閉じこもって考えに耽ったりするところ、とことん論理の人である。
物的証拠はもちろん大事だけども、リュパン君あるいはルブラン君がとくに重視するのは
心的動因であるようにも見受けられ、この辺りに世紀末の心理小説から出発したという
ルブランの経歴を窺わせるものがあるのだろうな、と思ったりもする。
モーパッサンでいえば『ピエールとジャン』以降の後期、あるいはブールジェ、フランスといった
80,90年代に売れた作家との親近性のほうが濃いのだろう(処女作の内の一編はブールジェに献辞)。
その意味でいえばフロベールはもとよりゾラの影響も、少なくともリュパン・シリーズには
すこぶる薄いのは確かで。
ところで、1864年生まれのルブランは、ジッドより5つ、ヴァレリー、プルーストより7つ年上で、
もっと近いのは66年のロマン・ロラン(なんて便利な『フランス文学小事典』)。
ルブランのメンタリティが明らかに19世紀寄りなのは、まあ年考えれば当然ではあるが、
しかし、なんというか、実に微妙なところなんだなあこれが。とか。
ついでに付け加えるならば、ルブランは、物心ついた時から共和制だった最初の世代である。
将来のリュパンが、共和制とぴったり親和する理由は、そこにもあるのだろう、とかとか。